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1158.開化天皇=天日矛は、新羅の第11代王のようです。  
名前:ヒストリアン    日付:2012/04/01(日) 15:11
 東ワイ地方のケリン(鶏林国)と対立していた大加羅国(後の=新羅)を統治していた歴代王の名前と在位期間である。
『新撰姓氏録』は、『新羅』(大加羅)の始祖王は鵜草葺不合命の子の稲飯尊(神武天皇の兄)だと述べている。
 古代日本とカラ半島南部の政治的・文化的なつながりを、あらためて研究すべきである。

■大加羅(オホカラ=新羅)の歴代王

初代王:威名日王−在位:BC57年−BC16年 <41年>
        〔稲飯尊(イナヒ尊)、彦古志尊、居西干、八幡神王(柔処の神=ヤハタのカミ)とも呼ばれる〕
                          
 威名日王は、朝鮮の史書=三国史記・新羅本紀に登場する赫居世干(彦古志)と同一人物らしい。
居世干は、新羅本紀の記述によると、13歳で新羅初代王に即位したという。
 また、『古事記』には、稲飯尊(威名日王)は母の国である海原(新羅)へ行ったと記されている。
新羅とは弁韓のことであり、弁韓は倭人国であったから、新羅=大加羅は、ヒノクニ(九州)と同じように、
倭人国であったことが分かる。
                           

2代王:仲次王−在位:BC16年−AD4年 <20年>
        〔彦中継王(ボコ-ナカスキ王)、南解次次雄とも呼ばれる〕

3代王:若次王−在位:AD5年−AD24年 <19年>
        〔若慈利尊(ワカジリ尊)、慈利王、儒理王とも呼ばれる。ジリは「知り」(統治者)の意味。〕

4代王:大志呂王−在位:AD25年−42年 <17年>
         〔大加羅志呂王(オホカラのシロ王)とも呼ばれる。丹波国から派遣された王〕

5代王:志露王−在位:AD42年−AD57年 <15年>
         〔佐狗王尊(サク王)、栄王、首露王とも呼ばれる〕

6代王:多気王−在位:AD57年−AD80年 <23年>
         〔太計王尊(タケ王の尊)、脱解王、武王、大加羅武王とも呼ばれる〕

7代王:羽佐王−在位:AD80年−AD112年 <32年>
         〔歯沙尊、婆娑とも呼ばれる〕

8代王:貴摩王−在位:AD112年−AD134年 <22年>
          〔木麻尊、祗摩王とも呼ばれる〕

9代王:伊昌王−在位:AD134年−AD154年 <20年>
          〔市肖王、逸聖王とも呼ばれる〕

10代王:阿多婁王−在位:AD154年−184年 <30年>
          〔阿多利尊(アタリ尊)、阿太郎王尊、阿達羅王とも呼ばれる〕

11代王:大日日王−在位AD184年?−AD189年?(在位期間は4年〜5年?)
          〔大日日王は、第9代=孝元天皇の第二子、すなわち開化天皇である〕



1159.開化天皇=天日矛は、新羅の第11代王のようです(2)
名前:ヒストリアン    日付:2012/04/01(日) 15:13
<続き・・>
 第9代天皇=開化天皇・・・(在位:193年〜223年4月9日=30年)

 大日日王(開化天皇)は、少年時代(18歳頃か)に新羅王(総督)として、新羅に派遣されている。
もし、新羅王に任命されたのが18歳のときであったなら、その年は西暦184年である。
 新羅王だった時期は、短期間だったようだ。その後、日本に戻り、天日矛(天日日子)の名前で呼ばれた。
日本に戻った(西暦189年? 25歳の頃か)大日日王は、前の丹波王=由碁理の娘である前津見(マエツミ)を妻に迎え、
しばらく丹波王として丹波国を治めた。
 やがて、妻・前津見との間に子=彦湯産隅命(ヒコ=ユムスミ王)が生まれた。
 父である孝元天皇の崩御すると、大日日王は皇位を継いで、第10代=天皇となった。また、その後、
次期丹波王の地位を、妻・前津見との間の子=彦湯産隅命に与えた。
 この彦湯産隅命こそが、「丹波県主」こと玖賀耳之御笠(クガミミのミカサ)である。

 彦湯産隅命(玖賀耳之御笠)は、父である大日日王(開化天皇)の崩御後、父の後を継いで天皇となったが、
異母弟である御間城入彦王と彦坐王の攻撃を受けて戦死した。
 つまり、大日日王(開化天皇)の三男である彦坐王(後の丹波道主)は、異母兄である次兄=御間城王と手を組み、
異母長兄である彦湯産隅命(彦湯産隅天皇)を殺害したのである。その功績を御間城王(崇神天皇)に評価されて、
彦坐王は『丹波国』の領地を与えられ、「丹波道主」となったが、その後、崇神天皇に裏切られ、殺されたようである。
(彦坐王のほうが裏切った可能性もある。彦坐王の母親は和邇氏の娘である。また彦坐王自身は息長氏の祖である)

 この殺された彦坐王は、死後「大物主」の称号を与えられ、大神神社に祭られた。
 そして、彦坐王=大物主を祭る神官となったのが、彦坐王の子と言われる大田田根子(オホタタのネコ)である。
この大田田根子は、彦坐王の息子=旦波比古多多須道主王(丹波のビコ=タタス・ミチウシ王)と同一人物という説がある。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 日本国=第8代天皇=孝元天皇の在位期間は、AD126年〜163年3月27日<37年>。
新羅の阿多婁王の時代の一部と重なる時代である。


1160.失礼。訂正します。
名前:ヒストリアン    日付:2012/04/01(日) 15:17

>父である孝元天皇の崩御すると、大日日王は皇位を継いで、第10代=天皇となった。

 第10代ではなく、第9代の天皇になった、が正しいです。
失礼しました。


「1158.開化天皇=天日矛は、新羅の第11代王のようです。」への返信

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