[ ホームページ ] [ 携帯用URL ]
ある日のシラフバックナンバー

[ EZBBS.NET | 新規作成 | ランキング | オプション ]
iモード&(絵文字)、au対応!ケータイからも返信できる無料掲示板!



その113「吉田達也のドラム」  
名前:シラフ    日付:2009/05/02(土) 12:44
 先月、ドラマー吉田達也氏のソロユニット、RUINS−aloneのライブを見た。吉田氏のライブを見るのは約2年ぶり。そんなに間を空けるつもりはなかったが、仕事を変えて一人暮らしを始めてあれこれバタバタしていたら2年も経ってしまった。
 元々はRUINSというドラムとベースのみの編成でやっていたプログレッシブルハードコアノイズバンドだったが、4代目のベースが抜けてからはRUINS−aloneという名前で、オケを流しながら吉田氏が1人で叩きまくるというスタイルで続けている。1人になってもプログレッシブルハードコアノイズなサウンドは変わらず。
 吉田氏のドラムは歌物には合わないので、弾き語りをやっている自分のライブの参考になるとか、いつか共演したいとか、自分のバックで叩いてほしいとかいう想いはない。ただただファンとして見ている。手数が多くてスネアを多目に叩くせわしないドラミングが自分の好みに合うのである。変拍子に変拍子を重ねた複雑怪奇な楽曲にはまってしまったら抜けられないのである。吉田氏が他にやっているバンドも好きになってしまうともう戻れないのである。
 RUINSのファンになってから古今東西のプログレを聴いてみたが、吉田氏がやっているバンド以上にはまるものはなかった。吉田氏が強く影響を受けたドラマー、クリスチャン・ヴァンデのいるMAGMAや、チャールズ・ヘイワードのいるTHIS HEATを聴いてもそれは同じだった。
 プログレの人はヘヴィメタのようにテクニックに走ってしまう人が多い。その楽曲を伝えるために必要なテクニックを使っているというよりは、血の滲むような努力で培ったテクニックを見せたくて楽曲の中に盛り込んでいるのではないかと感じさせるものが多い。吉田氏は上手いし、自分で作った複雑な楽曲を思い通りにプレイするための練習はしていると思うが、テクニックを見せつけるようなことはしない。いつも楽曲の良さ、ライブ演奏の醍醐味だけが伝わる。
 2年ぶりに見て、自分の音楽人生に吉田達也のドラムは必要なのだなと再確認したのだった。


 2009年3月

その112「落語とライブ」  
名前:シラフ    日付:2009/03/08(日) 19:31
 数年前から落語には興味があったが好きと言うのには抵抗があった。落語好きの知人達ののめり込みように比べたらとてもじゃないが好きとは言えなかったし、立川談志を始めとした立川流にしか興味がないし、古谷三敏のマンガ「寄席芸人伝」を読んでいるだけで満足しているところもあった。
 だが、去年の後半から落語への興味が強くなり始め、落語のCDを借りたり、落語の番組を録画するようになり、年明けに読んだ立川談春のエッセイ「赤めだか」を読んで落語への興味はさらに強くなった。落語は落語、音楽は音楽であって、落語が自分の音楽活動とつながるようなところはないと思っていたのだが、「赤めだか」を読み、実は意外と同じところがあり、意外とつながっていたことを知ったのだった。
 時々、ライブを終えて、大したミスはなかったのにただ6曲歌っただけ、ただ7曲歌っただけで終わってしまって何だか納得できないことがある。1曲々々歌っただけで1本のライブとしてまったくつながっていないというライブをやってしまうことがある。歌い終えて少し喋って上手く次の曲につなげようとしても空回りになってしまってどうにもならない。多分、間が悪かったのだと思う。
 面白い落語家は自分の間を持っている。間を持っていると何気ないことを話していても何だか可笑しい。
 高校の頃、学校寄席で落語を初体験した。その時の落語家が誰だったのかは忘れてしまったが、噺のマクラで「隣の家に塀が出来たってね〜」というようなダジャレを連発していて、普段なら絶対に笑わないようなダジャレなのに、その時は自分も含めた全生徒が大笑いしてしまった。今思えばダジャレではなく、その落語家が持っている間に笑わせられてしまったのだと思う。
 そして、その間というやつは音楽のライブにも活かせるのではないか、MCや歌の中に自分の間を出すことが出来ればもっと上手くライブが出来るようになるのではないかと思うようになり、もっと落語に注目してみようと考えたのだった。
 今年は寄席に行って生で落語を見ようと思う。そして、自分の間というものをつかんでライブに活かしたい。


 2009年2月

その111「個人的2008年ベストアルバム」  
名前:シラフ    日付:2009/02/08(日) 15:02
 友部正人「歯車とスモークドサーモン」
 タテタカコ「敗者復活の歌」
 HAYDEN「IN FIELD&TOWN」
 envy/jesu「envy/jesu」
 ZAZEN BOYS「ZAZEN BOYS4」
 夜のストレンジャーズ「トラブルボーイズ」
 クロマニヨンズ「ファイヤーエイジ」
 THE BIRTHDAY「NIGHT ON FOOL」
 面影ラッキーホール「Whydunit?」
 bedside yoshino「#3」

 2008年に買った新譜の中から特に良かったアルバム10枚を購入順に並べた。
 毎年毎年邦楽中心になってしまうが充実しているのでしかたなし。洋楽もそれなりに買っているのだが、新譜で追っているものは少ない。そんな中で久々に出たHAYDENの新譜はなかなかに良かった。
 久々と言えば面影ラッキーホールも久々。ディープ歌謡ファンク。「パチンコやってる間に産まれて間もない娘を車の中で死なせた・・・夏」というタイトルが全てを物語っている。
 夜のストレンジャーズはアルバム発売日を心待ちにしていた。「バスタブブルース」のようなリアルな日常を歌えるのがブルースである。日本人は日本人のブルースを歌うのがブルースに対する敬意だと思う。黒人のマネをしても意味がない。
 イースタンユースのボーカル吉野氏のソロプロジェクトbedside yoshinoは、「音楽を作る」という基本を思い出させてくれる手作り宅録アルバム。
 2008年は良い音楽にたくさん出会えた。今年もたくさん出会えるだろう。この予想だけは外れたことがない。


 2009年1月

その110「下田逸郎」  
名前:シラフ    日付:2009/01/06(火) 11:54
 20代も半ばを過ぎていたけれどやっぱり歌おうと思い、それにはオリジナル曲が必要だと思い、取りあえず20曲作っておけばしばらく持つだろうと考え、そして20曲作ってはみたけれどまだまだ曲が足りないと感じ、それ以来10年以上も作り続けている。
 作り続けているのに時々歌の作り方を忘れてしまう時がある。締め切りがあるわけでもないし、ライブの選曲に困らないくらいの曲数はあるのだから1、2年曲が出来なくても大丈夫なのだけれど、曲作りが途切れてしまうと妙に焦ってしまう。
 そんな時は下田逸郎のホームページにアップされている「はじめまして」という長い自己紹介文の中の、「なんだかポツンとひとりぼっちだったから唄をつくった。何も考えないで唄だけをつくった」という一節を頭の中で繰り返して気持ちを落ち着かせることにしている。そうしてしばらくするとまた少しずつ歌が作れるようになるのだった。
 そんな下田逸郎を知ったのはテレビで見た野外ライブ。今はフジロックなどの大型野外ライブが流行っているが、フジロックが始まる10年ほど前にも野外ライブが流行ったことがあった。日本各地でライブが行われ、テレビで放送された九州での野外ライブに下田さんが出演していた。広い会場の大勢の客の中に熱心なファンがいて、客席からステージの下田さんに「○○やってくれ!」と、直でリクエストしていたのだが、下田さんは、そんな客に対して、「○○か? やらないぞ。何だ寂しいのか? 自分で解決しろー」と、冷静に言ってのけたのだった。
 そんな、客とベタベタせずに一定の距離を保ちつつも心をつかんでみせる大人のミュージシャンとしての対応がとても格好良く見えた。思えば自分もその時に心をつかまれてしまったのかもしれない。

 http://www.t-chest.jp/shimoda/


 2008年12月

その109「デジタルオーディオプレーヤー」  
名前:シラフ    日付:2008/12/10(水) 21:37
 8月にデジタルオーディオプレーヤーを買った。
 購入の切っ掛けは8月に決まっていた長野ネオンホールへの遠征ライブだった。長野在住のミュージシャンであるタテタカコの曲で、色々な街へ歌いに行った時の想いを歌った「人の住む街」を、長野に向かう新幹線の中で聴いて遠征気分に酔ってみたかったのだった。
 購入以来、色々なCDを入れたり入れ替えたりしながら聴いている。朝夕の通勤時に使うことがほとんどだが、それだけでもかなり聴ける。数年前のこのエッセイで、1、2回聴いてそのままになっているCDがかなりあるので今後はそれをMDに落としてMDウォークマンで聴きまくりたいというようなことを書いたが、MDウォークマンはライブ録音に使っているので、いざその時にバッテリー切れを起こすのが怖くて結局あまり活用出来ないでいたのだった。
 今度こそはそういうCDを聴きまくりたい。でも今は、envy、スミス、夜のストレンジャーズのCDをほとんど入れてしまったので他のCDを入れる余裕が少なくなっている。しばらくしたら大幅に入れ替えると思うので今はこれを楽しみたい。快晴の朝にスミスのさわやかなメロディを聴くととても爽快な気分になる(歌詞の内容は「昏睡状態のガールフレンド〜♪」とか、「僕は君とは分かちあいたくなんかない〜♪」だったりするが)。逆に朝から夜ストを聴くと仕事をサボッてビールでも飲みたくなってしまうのが困りもの。envyはいつ聴いても全てを吹き飛ばす、オールシーズン、オールタイムOKなハードコア。
 今は音楽だけだが、いずれは落語なんぞも入れて楽しみたいと思っている。


 2008年11月

その108「メンフィスに行ったことはない」  
名前:シラフ    日付:2008/11/07(金) 07:35
 歌い始めたのが遅かったので最初からオリジナル曲でのライブだった。10代の頃に歌い始めていたら、とりあえずは好きなミュージシャンの曲のコピーだけでライブデビューをしたかもしれないが、20代後半でさすがにそれは恥ずかしいというかありえないというかみっともないというか、とにかくオリジナル曲でなければダメだと頑なに思い、どうにかして書き溜めた稚拙なオリジナル曲でライブデビューをした。時々は好きなミュージシャンのカバーもするが、基本的にはオリジナル曲のみで歌い続けている。自分はそれであたり前だと思っているけれど、世の中にはいくつになってもコピーしかしない人達もいる。音楽は完全に趣味、あくまでも仕事や生活優先で無理はしない。歌う場所も家から近くてあまり金の掛らない所で済ませ、家族や友達に受ければそれで満足という人達。そういう音楽の楽しみ方もあると思うし、飛び入りライブなどで見ている分には楽しめる時もあるけれどブッキングライブで対バンはしたくない。歌い始めたばかりで対バンにこだわりのようなものがなかった頃でもコピーの人と対バンはしたくないと思っていたが、歌い続けて自我が強くなるとその思いはさらに強くなった。
 ここ数年は少なくなったけど、それでも時々コピーの人達と対バンになってしまうことがある。その時は、まあそんな時もあると思って諦めるのだが、ブルースのコピーだけはどうにも嫌だ。コピーしかしないのに自分のことをブルースマンだと思っている人達に我慢がならない。自分は、自分の言葉で自分のことを歌うのがブルースだと思っているので、コピーやセッションしかしない人達をブルースマンだとは思わない。ある程度のところでオリジナルに切り替えていかなかった人の気持ちなど理解できないしするつもりもない。他人の曲をやるだけで満足できる人はミュージシャンではなくプレイヤーだ。
 自分はミュージシャンでありソングライターなのでソングライターと対バンしたい。刺激的な対バン相手のライブを見ながら、「いい歌作るなあ、チクショー」とか、「この人と対バン出来て良かった」とか思いたい。ブッキングライブというのはそういうものだと思う。
 ただ歌や演奏が上手いだけのコピーと対バンしても何の意味もない。


 2008年10月

その107「遠くに行きたい」  
名前:シラフ    日付:2008/10/07(火) 07:28
 8月、4年ぶり二度目の遠征ライブに行ってきた。前回は栃木で今回は長野。栃木の時も8月で、ライブが終ってビジネスホテルに戻り、テレビを付けたらオリンピックをやっていて柔ちゃんが金メダルを取っていたことを思い出す。
 遠征に行こうと思ったのは7月に行った広島旅行がきっかけだった。広島市民球場が今年で取り壊されると知り、横浜ファンだけど野球ファンとして広島市民球場には一度行っておかなければならないという思いで広島旅行を計画し始め、どうせならあちらで歌えないものかと広島での遠征ライブも計画。だが、こちらの日程が決まっているとなかなか都合の良い店が見つからずに広島でのライブは断念。結局、旅行のみとなったが、遠征ライブをしたいという思いは残っていたので、いつか行きたいと思っていた長野ネオンホールに連絡を取ってライブを組んでもらい遠征ライブを実行したのだった。
 そうして行ってみた長野はとても良かった。街も店も人も。弾き語りで活動していると打ち上げなんてものはあまりやらないのだが、当日は対バンしたバンドの人に誘われて打ち上げにも参加。酒を飲みながらその日知り合った人達と好きなミュージシャンの話で盛り上がれるというのはなかなかに新鮮な経験だった。
 自分は東京を中心に月二回ほどのブッキングライブをやっていて、毎回ではないけれど刺激があり、それはそれでいいのだけれど、いつもと違う何かを求めていつもと違う場所で歌うという経験はやはり必要だなと実感した。
 最初の遠征ライブの時、確か今後も遠征ライブをやって行こうと思ったはずだが結局4年も間が空いてしまった。そんなつもりではなかったがついついそうしてしまった腰の重い自分の戒め、今度こそは年に1、2回の遠征ライブを継続させたい。ただ何となくやりやすい店だけで続けていると、続けながらもいつの間にかミュージシャンとして終っているという醜態をさらしかねない。
 弾き語りは良くも悪くも自分次第なので、そうならないためにも気持ちはいつも外に向けていたい。


 2008年9月

その106「ヘイデンと続け方」  
名前:シラフ    日付:2008/09/23(火) 09:47
 歌い始めたのが遅かったので、いつかはメジャー、プロデビュー、音楽で飯が食いたいという考えはあまりなかった。そうなったらいいなと思ったことはあるが、あんなにいい歌を歌っているあいつやあいつがそうなれないのならそれはかなり難しいんだなとすぐに理解した。それに、メジャーの世界はあれこれ口を出してくる人が増えて何でもかんでも自分の好きにはやれなさそうというのも分かってきた。好きでやっていることが好きに出来ないのなら意味がない。ならば、でかいものに乗っかって面倒みてもらうのではなく、小さくても自力で続けてゆく方がいい。
 そんな、好きなように音楽を続けていく上で参考にしたいミュージシャンが何人かいる。
 カナダのシンガーソングライター、ヘイデンもその一人。
 ちょっとしょぼいけど素直な歌声、不思議なストーリーの歌詞、シンプルな音作り。デビューの頃はベックと比べられて日本盤も出ていたが、ベックと違ってブレイクしなかったので今年出た新作とひとつ前のアルバムは輸入盤のみとなっている。ここ数作はHARDWOODRECORDSというレーベルから出ているが、所属ミュージシャンがヘイデンを含めて3組くらいしか居ないようなのであまり大手ではないよう。もしかしたらインディーズレーベルなのかもしれない。
 ヘイデンは、多分今もカナダに住んでいる。カナダのどんな所に住んでいるのかは知らないが(今も実家のような気もする)、街の中心部ではなく人の少ない郊外なんじゃないかなと想像する。そして、そこの家でコツコツと自分の音楽を作っているのではないか。ヘイデンの歌を聴いているとそんな気がする。そうであってほしい。
 ヘイデンは音楽だけで飯を食っていると思うのでプロだと思うが、その姿勢は大いに参考にしたい。
 自分がこうだと思ったものをただそのまま差し出すというのはなかなか難しく、あまり思い通りにはいかないが、好きでやっているんだからこれからも好きで続けていきたい。


 2008年7月

http://hp.kutikomi.net/shirahu/

その105「続YouTube」  
名前:シラフ    日付:2008/08/01(金) 20:49
 やはりYouTubeは便利だ。というかありがたい。
 ふと、仕事中に伊武雅刀「子供達を責めないで」が思い浮かび、帰ってからYouTubeで検索してみたらあっさり見つかった。テレビ番組出演時のやつと、どこかの誰かが歌詞の内容に合うようなアニメのシーンをコラージュして作ったものがあり、どちらも楽しめた。
 歌詞の内容やイメージに合うような画像や映像をコラージュしてプロモーションビデオというかイメージビデオ的なものを勝手に作ってしまうということは色々な人がやっていて、おおくぼ良太「目蒲線物語」で検索した時もそういうものがあり、そちらもなかなかに楽しめた。中には70年代フォーク、80年代ニューミュージック中心でそれをやっている人もいて、「そうそうこういうものが見たかった」と、なかなかに感心させられたりするものもある。ファンの痒いところに手が届くようなものを作れるのはプロではなくファンなのかもしれない。マンガにおける同人誌というのは多分こういう感じなのだろう。
 こういった手の込んだものもあるが、大抵は秘蔵のライブ映像をそのままアップさせているというのが多い。著作権のこともあるし、本人にしてみれば勝手に撮られてなおかつ出来の悪いライブだと思っているかもしれないものを使われるのは不本意だろう。自分もミュージシャンなので気持ちは分かる。でも、音楽ファンでもあるので好きな曲のライブテイクを聴きたいというのもある。だから、違法と知りながらも海賊盤のCDやDVDを買ってしまったりする。でもまあ、これは海賊盤とは違って誰かが違法に儲けるというものではないのでこのままグレーゾーンで続いていってくれないものかと小さく願ったりするのだった。


 2008年7月

その104「タカダワタル的ゼロ」  
名前:シラフ    日付:2008/07/11(金) 20:31
 2005年に亡くなったフォークシンガー高田渡についてのドキュメント映画「タカダワタル的」。その続編というか番外編みたいな感じで作られたのが「タカダワタル的ゼロ」。何となく「タカダワタル的」の未発表シーンで構成されたもの(CDでいうならアウトテイク集みたいなもの)だと勝手に思っていたので、何が何でも見なくてもいいかあという感じでいたのだが、それでもやっぱり見ておくかなとじわじわと湧き上がってきたので結局見たのであった。そのじわじわが高田渡という人に似合っているようにも思う。
 結局、ライブシーンもインタビューも「タカダワタル的」のとは別の日のものだったので、似たような内容だったけど全然別の映画だった。見てよかった。
 売店で買ったパンフレットに載っていた柄本明氏のインタビューが高田渡の歌の魅力を見事に言い当てていて思わず唸る。

 「渡さんの唄にどっぷりハマるまでは、歌詞を聴くのがつらいというか、面倒くさくってね。「♪僕たちは〜」とか「♪生きているんだ〜」とか、どうでもいいだろうという感じだった(笑)。でも、高田渡の唄を聴いて、はじめて<唄>っていうのはこういうものなのかなとわかったんですね。
 <唄>って他人なのに触ってくるでしょう? 歌謡曲は商売だからそれもわかるんだけど。渡さんの唄は、やっぱり我々は他人なんだということをわからせてくれる。ベタベタと触ってきたりしない。そこがいいんですよ。」

 高田渡は感情を込めて強く歌ったりはしない。どんな内容の歌でもサラッと歌う。でも、その歌が右耳から左耳に通り過ぎてしまうことはない。頭の中に残り、生活の中のふとした瞬間に思い出したりする。高田渡はミュージシャンではなく歌そのものだったのではないか。高田渡は「ミュージシャン」ではなく「歌」になりたかったのではないか。などと、予想してみたが、それを確かめたくても高田渡はもういない。答えてもらえない質問を抱えながら、自分はもう一度さようならを言うのであった。「タカダワタル的ゼロ」は、高田渡にもう一度さようならを言うための映画なのかもしれない。
 さらば高田渡。


 2008年6月

http://hp.kutikomi.net/shirahu


ページ: |< << 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 >> >| 

無料アクセス解析

アクセス解析の決定版!無料レンタルで最大100ページ解析!

   投稿KEY
   パスワード

EZBBS.NET produced by InsideWeb