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ある日のシラフバックナンバー

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その143「山下達郎はイースタンユースの新譜を発売日に買う」  
名前:シラフ    日付:2011/10/02(日) 16:54
 パンクやハードコアも好きだけど山下達郎も好きだったりする。日曜の午後にTOKYOFMでやっている「サンデーソングブック」はほぼ毎週聴いていて、山下氏の音楽に対する真摯な姿勢が伝わってくるのが良い。
 テレビ番組雑誌「TVBros」に山下氏のインタビューが載っていて、それを読んだらイースタンユースとTheBirthdayの新譜は発売日に買うとのこと。山下氏がイースタンユースのファンというのは知っていたが、発売日に買うという気合いの入り様には頭が下がる思いだった。この好きな音楽に対する貪欲さを保っていられるから50歳を過ぎても現役でやっていけるのだなと感心した。
 メジャーだけでなくインディーズでもこういう人はいる。the原爆オナニーズのタイロウ氏は山下氏と同じく50過ぎだが、今でもパンクロックに貪欲だ。今のパンクも昔のパンクも分け隔てなく聴いている。
 最近の自分はというと、好きなバンドやミュージシャンの新譜は必ず買うけれど、何が何でも発売日に手に入れようとはしなくなっていた。「今度の休みの日に買おう。どうせ買うならポイントが倍になる日に買おう」などとやっている自分が恥ずかしい。
 自分は山下氏やタイロウ氏のように音楽に対して貪欲な、意識の高い人に魅かれる。だから、意識の低い人と会うとがっかりする。近場のノルマがない店で気が向いた時にやれればそれでいいという、続けているけど終わっている人と会うととても残念に思う。アマチュアなのだからゆるくやろうとガッツリやろうと本人の勝手なのだが、なんでもっとあちこちで歌いたいと思わないのだろうと不思議に思う。それに加え、とにかく金をかけたがらない人達も理解できない。アマチュアなんだからやりたいことに金がかかるのは当たり前だし、自分のやりたいことに身銭が切れなくなったら終わりだ。
 時々、もっとあちこちでやればと言ってみる時もあるが、やるやつは勝手にやるし、やらないやつはいつまでたってもやらないものらしい。だからもうそういう人達は放っておいて、山下氏やタイロウ氏のように意識の高い人達だけを見ていようと思う。


 2011年9月

その142「了見(考え。気持ち)」  
名前:シラフ    日付:2011/09/08(木) 05:30
 先日、知人が参加している劇団の芝居を見た。演劇はほとんど見ないので大仰な芝居と臭いセリフ回しについて行かれず拒否反応が出てしまいどうにも楽しめなかった。ストーリーも好みではなかった。
 自分は集団が嫌いなので劇団などに入ってみんなで一緒に何かをやりたがる人達が理解できない。時にぶつかったりしながらもひとつのものを作り上げた達成感を共有するということが分からない。知人に勧められて「ヤング@ハート」という平均年齢80歳の爺さん婆さんコーラスグループがロックの名曲を歌うというドキュメント映画を見たが、自分には共感できなかった。
 音楽の世界には、最初からバンド思考しかなく、ソロで、一人でやるなんてまったく考えにない人もいる。それはバンドを見てバンドをやろうと思ったか、歌を聴いて歌おうと思ったかという切っ掛けの違いだと思う。自分は友部正人の歌を聴いてギターを持ったので、弾き語りで始めて特にバンドを組むこともなく今日まで来た。バンドを勧められたり一緒にやらないかなどと誘われたりもしたがそれでも一人でやってきた。メンバーと力を合わせて上手くいった喜びよりも一人で好き勝手にできる気軽さを選んできた。
 ここ数年で落語にはまったのもそれが一人で表現するものだからだと思う。着物を着て座布団に座り、使える小道具は扇子と手ぬぐいのみという制限の中で、演じたり語り部になったりしながら自分の了見で構成した噺を人前に出し、良いも悪いも全て自分一人に返ってくる潔さに強く惹かれた。
 弾き語りよりもバンドの方が表現の幅が大きいので多くの人に伝えるにはとても有利というのは分かるが、それでも、皆で合わせる苦労をするより一人で全責任を負う方が自分の了見には合っている。


 2011年8月

その141「嘘と無理」  
名前:シラフ    日付:2011/08/02(火) 13:54
 ここ数年は毎年長野のネオンホールへ遠征ライブに行っている。その時に長野県を中心に活動している地元のミュージシャンと対バンするのだが、毎年何かしらの刺激をもらう。ネオンホールに出ている人達だけかもしれないが、長野のミュージシャンは妙に独特で、音が似ているわけではないのにUSインディーバンドと同じような印象を持ってしまう。もしかしたら、保守的な地方都市でオリジナルの音楽を続けてゆく意思の強さが同じなのかもしれない。
 そんな、長野で対バンしたミュージシャンの音楽には嘘と無理がなかった。自分の中から出てくる歌や音をそのまま出しているので、たとえあまり好みでないものでも聴いていてストレスが溜まらない。歌や音楽はそうあるべきだと思うのだが、東京や千葉でライブを見ていると、多くの人の共感を得たい為の歌詞があざとかったり、MCで一生懸命やっていますというアピールをしたり、自分達の出番が終わった直後に筆記用具付きでアンケートを配ったり、ライブの集客に繋げようと誰にでも良い顔をしたりと、売れるために嘘くさいことを平気でやるのがいて辟易することがある。売れたいと思うのは悪いことではないが、嘘くさいことはしないでほしい。自分はライブハウスで嘘くさい連中を見て疲れたくない。
 長野のミュージシャンだって売れたくないわけではない。音源は沢山売れてほしいだろうし、ライブにも沢山見に来てほしいと思っているはずだ。でも、その為に自分たちの音楽に嘘をつくことを良しとしない。自分が長野に魅かれるのは地元ミュージシャンのそんな潔さが好きだからだ。


 2011年7月

その140「全開デ本気」  
名前:シラフ    日付:2011/07/03(日) 19:38
 5月29日 日曜日 雨

 千葉にあるライブハウスLOOKにイースタンユースのライブを見に行った。
 新アルバム「心ノ底ニ灯火トモセ」の発売記念ツアーの初日。それなりに名の通ったバンドがツアーに出る時は初日にLOOKを選ぶことが多い。確かに千葉のライブハウスといえばまずLOOKが1番で、2番3番の店というとそこからかなり間が空いてしまうというくらい千葉ではダントツの店ではある。それでも初日なら東京から始めた方がいいのではないかとも思うのだが、何故千葉LOOKからなのだろうという疑問は尽きない。それだけ店の人間が信用されているということなのだろうか。
 店に入るとすぐに筋金入りのライブウォッチャー、なんのこっちゃい西山。氏を見かける。この人は東京のイースタンのライブには必ずといっていいほどいる。イースタン以外にも色々なライブを見ていて、この人の行動範囲には頭が下がる。この人が見に来てくれるようになったら自分も一人前かなとも思う。
 6時5分にライブスタート。
 新譜の1曲目「ドッコイ生キテル街ノ中」でスタートして新譜からの曲を畳みかける。発売記念ツアーというのもあるけれど、セットリストの半分以上は新譜からの曲。もう少し昔の曲も聴きたいというのもあるけれど、新曲を優先するのが現役のバンドの証だからそういうものだ。イースタンが新譜を出してもそこから2、3曲しかやらず、後は評判の良い昔の曲ばかりのライブをするようになったらやはり悲しいのでこれで良し。
 吉野氏のMCは、島忠ホームセンターに関する呑気な話から地震や原発で不安を感じる日々についての話など幅が広い。地震や原発を匂わせる話をしても、「地震」や「原発」のような直接的な単語は出さない。多分、そのことについて話すことに対しての照れや恥ずかしさがあるのだと思う。「歌で元気づけるなんておこがましい」とも言っていた。自分自身に「お前何様だよ」と問い続けている人は信用出来る。
 ライブ後半は昔の曲が多目だったが、最後は新譜から「再生工場の朝」で終えた。
 2回のアンコールに応え、とても濃い2時間のライブ。
 東京のホールでも地方のライブハウスでもイースタンユースは全開で本気だった。
 

 2011年6月

その139「うたうたう」  
名前:シラフ    日付:2011/06/03(金) 23:03
 3月11日の地震の2日後の13日に国分寺でライブの予定があった。当初は中止も検討されたが店主の心意気で開催決定。当日は節電ということでマイクなしの完全アンプラグドライブとなったが何とか歌えて何よりだった。ミュージシャン仲間の中には、地震当日にライブがあったけど交通機関のマヒなどで中止にせざるを得なかった人もいるし、地震の影響で仕事がめちゃくちゃ忙しくなってどうにもならず、決まっていた企画ライブをキャンセルした人もいる。自分はラッキーだったのだなと思う。
 地震の直後、13日のライブは中止になってしまうだろうなとは思ったが、今は歌っている場合ではないのではと思って自らキャンセルするつもりはまったくなかった。ミュージシャンの中には、周りの雰囲気に飲まれたり遠慮したりしてライブ活動の自粛をした連中もいるが、自分はそんな連中の気持ちがまったく分からない。
 自分は地震後も以前と同じペースでライブ活動を続けている。自分の住んでいる千葉県船橋市にはあまり大きな被害がなかったということもあるけれど、他人の顔色を伺って歌っているわけでも楽しいだけで歌っているわけでもないのでそんなところで迷ったりはしなかった。
 13日のライブでは、自分以外の出演者全員が地震について喋っていた。
 「被災地の人を思うと心が痛む・・・今僕たちが出来ることは・・・」
 などと真面目に喋っていて、自分は、それはそのとおりだとは思うがそんなありきたりなことをライブのMCで喋って何になるのかと思いながら聞いていた。
 自分は、MCで地震の話はしないようにしようとライブ前から決めていたのでまったく喋らなかった。その後のライブでもそうしている。今は地震だけでなく原発の話もしないようにしている。深刻な事柄なのでその話をするとどうしてもライブの流れや雰囲気が変わってしまう。ありきたりの感想なんて言いたくないし、傷口を舐め合う感じになるのも他人と同じことをするのも嫌だった。それより何よりライブに余計な思いを持ち込みたくなかった。
 自分は、募金はするが音楽活動費を削ったりはしない。ボランティアにも行かない。ライブ活動のペースも崩さない。こんな状況だからこそ歌うんだという強い思いもない。ただ、歌うということを後回しに出来ないエゴがあるだけだ。


 2011年5月

その138「庭にお願い」  
名前:シラフ    日付:2011/05/05(木) 21:40
 池袋のシネマ・ロサのレイトショーで、ミュージシャン倉地久美夫のドキュメント映画「庭にお願い」を見た。
 色々な関係者が倉地氏の歌や音楽についてコメントしてゆく。皆上手く言い表していると思いつつも、それでも何か違うようにも感じる。それだけ倉地氏の音楽は独特で、誰の影響も見えないし、ロックかフォークかポップスかジャズかブルースかといったジャンルでカテゴライズすることも不可能。
 摩訶不思議な歌詞を、改造ギターと改造カポタストを使った変則チューニングで奏でられるこれまた摩訶不思議な音に乗せて朗々と歌われるそのスタイルはどうにも言葉にし難い。
 見れば分かる。
 見た方が早い。
 そんな、言葉での表現を放棄した言い方が一番上手くはまる人で、その魅力に取り込まれるとどうにも抜け出せなくなってしまう。そんなファンが全国各地にいる。
 映画では20代前半に福岡から上京してきた若かりし頃の倉地氏の貴重な映像やライブシーンなどもあるのだが、音響が悪くて歌詞が不明瞭ということもあり、その頃の倉地氏にはあまり魅力がない。確かに独特ではあるし、関係者のコメントでは当時から天才だったとのことだが、若さでアバンギャルドに突っ走っているだけのようにも見える。
 その後、一旦地元に帰り、また東京に来るようになった頃から今のスタイルになったという。関係者のコメントでは、田舎に帰って普通に就職すると天才でも凡人になってしまうものだけれど、倉地氏はさらに凄くなったとのこと。近年では海外公演も行い反響も良いようだ。
 じゃがたらの故江戸アケミの言葉に、「お前はお前の踊りを踊れ」というのがあるが、倉地氏はまさに自分の踊りを踊っているのだなと感じた。


 2011年4月

その137「モリッシー&マー/茨の同盟」後篇  
名前:シラフ    日付:2011/04/05(火) 12:23
 モリッシーのボーカルは、ぱっと聴いた感じはなよっとしていて決してがならず、およそロックバンドのボーカルとは程遠い。同性愛者という噂もあるが、この本を読む限りではセックスの対象が男というよりはセックスそのものに興味が薄いような感じを受ける。
 そんなモリッシーはどんな歌でも朗々と歌う。ラジオで、チェルノブイリ原発事故のニュースの後にDJがワムのお気楽な曲を流したことに腹を立てて作ったという「パニック」のサビは、「DJを吊るせ DJを吊るしあげろ」という内容なのだが、その歌詞も朗々と歌い上げている。しかも、子供のコーラスに同じ歌詞を歌わせている。この皮肉というか悪趣味というかこういうことをするのがいかにもイギリスのバンドだ。スミスはこれでDJを敵に回したとのこと。
 あるマンガ家のブログを読んでいたら、「商売の秘訣は人に嫌われないこと」と書かれていたが、成功は欲しいのに成功するためにしてはいけないことばかりするスミスは後世に残る傑作アルバムを作るもののやはり大ヒットにはならない。
 気難しいモリッシーをマーが何とかコントロールして続いていたスミスだが、マーの気持や音楽に対する欲求がスミスだけに収まらず、ちょっとした行き違いもあって結果スミスは解散する。
 本書を読んでいて、何故かモリッシー&マーに対してラモーンズのジョーイとジョニーを連想していた。音楽性は全然違うのに何故だろうと思っていたら、解散のコメントがラモーンズと同じく「ストーンズみたいになりたくない」というのには驚いた。もしかしたら、「ストーンズみたいになりたくない」というのは海外のバンドがマンネリを嫌って解散する理由に使う常套句なのかもしれない。
 スミスがもう少し続いていたらどうなっていただろう。「ザ・クイーン・イズ・デッド」を超えるアルバムを作っていただろうか。スミスの再結成は見たいような気もするし、してほしくないような気もする。モリッシーもマーも音楽を続けているし、モリッシーはライブでスミス時代の曲も歌っているのでそれでいいような気もする。
 自分のデジタルオーディオプレーヤーにはしばらくスミスが入っていることだろう。


 2011年3月

その136「モリッシー&マー/茨の同盟」前篇  
名前:シラフ    日付:2011/03/08(火) 08:33
 「モリッシー&マー/茨の同盟」
 ジョニー・ローガン著 丸山京子訳

 80年代のイギリスを駆け抜けたロックバンド、ザ・スミス。この本には、スミスのソングライターチームであるボーカルのモリッシー、ギターのジョニー・マーのスミス結成前から解散後のそれぞれまでが書かれている。
 著者ジョニー・ローガンは、冒頭でこの本の執筆にはかなりの時間を費やしたと書いていて、確かにそれに見合うだけの充実した内容だとは思うが、前半のモリッシーの父親の生い立ちについてそこまでのページを割いて書く必要があったのかという疑問も少々。
 読んで驚いたのが、スミスは4人のバンドではなく契約上はモリッシー&マーのバンドという事実。ベースのアンディ・ルークとドラムのマイク・ジョイスはメンバーの一員として名を連ねるが、バンドの利益は一旦モリッシー&マーの元に全部入ってそこから2人に支払われるというシステムになっていたとのこと。ならばドライな関係なのかというとそうでもなく、2人にはそう言って納得してもらったと言う。でも、それについては口約束でちゃんと契約書を交わしたわけではないので、後々になって言った言わないのあげくの裁判ざたという海外バンドにありがちな金銭トラブルになって行く。同じようなトラブルをマネージャーとも起こしている。しっかりしているようでもうひとつ詰めが甘いのは若さなのか。
 裁判ざたは後々の事としてもデビュー当初は順調だったのかというとそうでもなく、所属したレーベールがインディーレーベルだった為にプロモーションが弱く、自分達が自信満々で出したシングルが予想以上にヒットしなかったりしている。
 モリッシー&マーはそこそこのヒットは出るものの大きくヒットしないことに不満を抱いていたが、その為に自分達のスタイルを崩して大衆に迎合するということはなかった。モリッシーの歌詞は独特で、世の中の弱者を扱って人間や社会の本質をえぐり出すものが多く、その内容やインタビューなどでのちょっとした発言で社会問題になったりもする。
 後篇に続く。


 2011年2月

その135「個人的2010年ベストアルバム」  
名前:シラフ    日付:2011/02/08(火) 13:24
 bedside yoshino「#4」
 the原爆オナニーズ「SOLID」
 タテタカコ「Harkitek or ta ayoro」
 小谷美紗子「ことのは」
 三上寛「弥吉」
 bed「ON OFF」
 友部正人「クレーン」
 envy「recitation」
 クロマニヨンズ「オイ! ウンボボ」
 マーガレットズロース「dariing」

 今年買った新譜の中から良かったものを購入順に並べた。洋楽や落語のCDも沢山買ったがほとんど旧譜の後追いで中古がほとんどだった。
 bedside yoshinoはイースタンユース吉野寿氏のソロユニット。こういう手造り感覚あふれたアルバムを作りたいものだ。
 原爆の久々の新譜は相変わらずのパンクロック。多分10年後も同じだろう。
 タテタカコと小谷美紗子の存在感はとてつもない。女性ミュージシャンの凄さというのを垣間見た。
 喜怒哀楽の全てをハードコアに詰め込んだenvyの新譜は凄かった。
 日常を独特の視点から歌にする友部さんのセンスには脱帽。
 今年はどうなるか。あのミュージシャンに動きはあるのか。あのバンドの新譜は出るのか。新しいミュージシャンに出会えるか。楽しみは多い。

 
 2011年1月

その134「BIG RETURNS」  
名前:シラフ    日付:2011/01/02(日) 14:15
 東京は渋谷にある映画館シアターNで、博多ロックシーンのドキュメント映画「BIG RETURNS」を見る。当初は、主役の菊こと柴山俊之にこれといって想い入れがないので見るつもりはなかったのだが、「BIG RETURNS」の公式サイトに掲載されていたストーリー説明の中の、「見事に整理されつくした自分の事を、わかりやすく話してくれた水戸華之介」という一行にいたく魅かれて急に見たくなったのだった。
 映画は柴山で始まる。ライブシーン、インタビュー、プロモーション活動の様子、関係者のコメント。昔のサンハウスの貴重な映像も流れ、鮎川誠がレスポールでなくストラトを弾いている珍しいシーンも見られた。
 このまま柴山を中心として映画は進むのだろうと思ったが、中盤あたりから最後のあたりまでは出て来なくなり、他の博多のミュージシャンを映して行く。皆、博多のロックシーンに自身を持っているが、自画自賛になっていないのが良かった。ただ、その中に今の鮎川や大江慎也のコメントがなかったのは残念。特に大江には出てほしかった。博多のロックを語るなら大江は絶対に必要。多分、オファーはしたと思うが、体調的な理由で出られなかったのではないかと思う。
 そして個人的に楽しみにしていた水戸華之介。アンジーでデビューして解散後に色々なバンドを組み、今は水戸華之介&3−10chainとして音楽を続けている。現在は完全なインディーズ活動で、音源とかも流通には乗せずに通販と物販のみとのこと。そんな水戸が現在の状況を踏まえながら自身のことをユーモアのある比喩で例えながら語るのだが、それがいちいち納得出来てしかも笑える。映画館で笑い声をこらえるのが大変であった。
 「よく、「夢を売る商売」と言われるが、夢を売るんじゃなくて歌を作って歌を売るでいいんじゃないかと思う。うどん屋が当たり前に一杯一杯うどんを作って当たり前に売るように」
 「全国チェーン展開していた時期(メジャー時代)でもこのモツ煮の味(譲れないこだわり)だけは変えなかった」
 映画を見ながらメモを取っていたわけではないので正確ではないが大体こういうことを言っていた。聡明な人だなとあらためて思う。水戸のコメントがあるかないかでこの映画の出来はかなり変わる。
 久々に水戸華之介のライブが見たくなった。


 2010年12月


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