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474.元あるぜんちな丸事務長藤田幸夫の息子です 返信  引用 
名前:藤田佳伸    日付:2006/01/26(木) 23:57
父は大阪商船に戦前に入社、あふりか丸、さんとす丸、あるぜんちな丸
さくら丸のパーサーでした。父が亡くなりもう13年たちました。父の乗った船を見送りに小学校時代はよくいきました。移民船の見送りの情景は今も脳裏に焼きついています。写真やあるぜんちな丸の絵葉書、煙突型のライターなど大事にのこしています。しかし父の一番華やかな時代というか、現役の時代は私が小学校時代で父の本当の姿というか、どんな仕事振りだったのか全く記憶にありません。どなたか父の人となりのようなものをご存知の方おしえていただけませんか。当時は神戸市垂水区高丸に住んでいました。よろしくお願いします。



475.Re: 元あるぜんちな丸事務長藤田幸夫の息子です
名前:藤田佳伸    日付:2006/01/27(金) 00:12
>栗本さんが亡くなられた事をこの掲示板を見て知りました。以前メールにて父の思い出を教えていただきました。ご返事も満足にできず申し訳なさで胸がいっぱいです。懐かしい思い出をありがとうございました。栗本さんと父幸夫が重なって見えるような気分です。 父は大阪商船に戦前に入社、あふりか丸、さんとす丸、あるぜんちな丸
> さくら丸のパーサーでした。父が亡くなりもう13年たちました。父の乗った船を見送りに小学校時代はよくいきました。移民船の見送りの情景は今も脳裏に焼きついています。写真やあるぜんちな丸の絵葉書、煙突型のライターなど大事にのこしています。しかし父の一番華やかな時代というか、現役の時代は私が小学校時代で父の本当の姿というか、どんな仕事振りだったのか全く記憶にありません。どなたか父の人となりのようなものをご存知の方おしえていただけませんか。当時は神戸市垂水区高丸に住んでいました。よろしくお願いします。

473.栗本さんの妹さんから頂いたお便りです。 返信  引用 
名前:和田 好司    日付:2005/09/04(日) 00:37

栗本さんの妹さん後藤 映子さんより『私たちの40年!!』MLに下記お便りを頂きました。栗本さんの【あなたのページ】にもご紹介して置きます。
写真は、宇佐神宮を案内して頂いた時に栗本さんご兄弟と女房の楽しそうな写真です。

和田様ご夫妻様へ

兄が亡くなりましてから、早いもので、もうすぐ1ヶ月になろうとしております。
皆様方から、暖かい追悼のお言葉を頂き、兄もきっと喜んで安らかに、
天国から見守ってくれている事と、感謝いたしております。
生前中は、皆様の本当に有り難いご縁を頂いて、心豊かな人生を送れて、
兄は幸せだったとの想いを新たにしております。
 でも、生れ落ちてから、ずーとこの方共に生きて来た兄弟を亡くすと言う事が、こんなにも、堪えるものとは、想いもしませんでした。
5年来の幾種類もの癌との闘病生活でしたので、いずれはと、覚悟らしきものは、しっかり持っている心算でしたが・・・・・
良く昔の人が云っていました、「親を亡くすのと、兄弟を亡くす悲しみは違う。」との言葉が此方も年を取ったからでしょうか、身に沁みて、いまだに悲しみ、せつなさ、寂しさが、込み上げてきます。
 東京の入院治療が済むと、以前と変わらない明るい元気さで、我が家で1・2泊しては、一緒に駄弁って、食事を楽しんで、時には、そのままドライブや軽いハイキングをしたりして、兄の心地よい雰囲気に病気など、忘れたような生活でしたので、いよいよ悪くなるまでは、共に出来るだけの、楽しみを私達夫婦に享受させて呉れました。
 その間、兄の息子夫婦がネットを網羅して、兄に最適な医療を見つけて、看護にも最後まで最善を尽くして呉れましたことは、兄も心強かった事と、若い2人には、本当に有り難く感謝いたしております。

 兄のお陰で、60歳をこえてから、登山の楽しみや、パソコンの手解きなど、教えてくれ又ブラジルの和田様ご夫妻まで、お会い出来て楽しい想い出を与えてくれて、感謝いたして居ります。
あの時は、本当に楽しゅうございました。飛び入りなのに、沢山の楽しい思いを致しました。
いまだに、高田の町に行くと、給食のお店も懐かしく思い出して、寄ってみます。
和田様ご夫妻には、何時の日か、九州にいらっしゃる事がございましたら、この100年を越す旧い家で、奥様と2・3日でも、お過ごし下さると、本当に嬉しいのですが・・・・
 又今年もラベンダーが穂を上げて、ボトルを沢山編みました。
兄もラベンダーの香りが、大好きでしたので、今年編んだボトルと共に、旅立ちました。
生前のご厚情を感謝いたしますと共に、ご夫妻のご健康を願っております。
有難うございました。

----------後藤映子----------------

471.栗本 克彦さんが7月28日午前7時50分に亡くなられました。(追悼特集2) 返信  引用 
名前:和田 好司    日付:2005/07/15(金) 11:45
(追悼特集2)のURLは、下記です。
http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=788

(追悼特集1)では、栗本さんとの『私たちの40年!!』HP及びその掲示板を通じての交流を集めて見ましたが掲載したのは、公のHP、掲示板に掲載されているものだけに限定しました。その他にもDMによる交信もあるのですがこれは私信として割愛しました。(追悼特集2)では、栗本さんのHP【人生・ロマン・メッセージ】の画像掲示板『あなたのページ(文字と画像の掲示板)』の4月2日の栗本さんの最後の書き込み『入院が続いています』以後の皆さんの書き込みを収録しました。
こんな形でしか栗本さんとのお付き合いを残せないのを残念に思いますが、時々この欄を訪れることにより栗本さんを偲ぶ縁となればと願い掲載して置きます。
写真は、栗本さんから送って頂いた息子さんとの富士登頂記念の写真です。

http://40anos.nikkeybrasil.com.br/

470.栗本 克彦さんが7月28日午前7時50分に亡くなられました。(追悼特集1) 返信  引用 
名前:和田 好司    日付:2005/07/15(金) 11:42
元南米航路の通信員として何度も移住者を南米に運ばれた栗本克彦さんが先日亡くなられました。癌との戦い5年の闘士、『私たちの40年!!』HPをこよなく愛し支援してくれていた大事な掛替えの無いお方でした。
栗本さんとの出会いから3年弱の交流を『私たちの40年!!』HP、掲示板、画像掲示板等から収録し追悼集を纏めました。
URLは下記です。
http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=787

『私たちの40年!!』HPでは、初期の段階から栗本さんには日本の多くの支援者獲得にご尽力頂き栗本さんを通じて多くのメール友、仲間が生まれ2003年8月には大分県の昭和の町、豊後高田市を案内して頂いたり、別府での桐井さん、佐藤さんご夫妻ミニオフ会を持ち親しく話し合う事ができました。カメラを首から懸けて元気良く歩く姿は何度もガンとの戦いを潜り抜けてきた闘士というよりガンと共存しているヒョウヒョウとした物事を達観されている感じがしましたが別府でお別れした朝は別れを惜しむというかお互いに胸に熱いものが込み上げてくるのを覚えました。二人で福岡アビスパがJ1に昇格し栗本さんの大分との九州ダービを一緒に観戦することを約束していたのですがそれも果たせなくなりました。4月末に福岡までアビスパを応援に行ったのですが、栗本さんとはお会いできず電話連絡も取れないままに戻ってきたのが悔しいです。
写真は、別府の明礬温泉の宿まで来て下さった時に佐藤さんが撮っておられた最後の写真をお借りしました。

上記は、『私たちの40年!!』寄稿集第547番目に掲載した追悼特集1です。お時間があれば栗本さんを偲びながらご覧下さい。

http://40anos.nikkeybrasil.com.br/

469.ゆっくりお休みください 返信  引用 
名前:佐藤 征夫    日付:2005/07/05(火) 22:41
Original Size: 250 x 326, 64KB

同じ船乗りとして、この歌を捧げます。

「南洋航路(船乗りの歌)」
一、さらばラバウルよ又来るまでは しばし別れの涙がにじむ
     恋しなつかしあの島見れば 椰子の葉かげに十字星
二、 船は出てゆく港の沖へ 愛しあの娘のうちふるハンカチ
     声をしのんで心で泣いて 両手合わせてありがとう
三、 波のしぶきで眠れぬ夜は 語りあかそよデッキの上で
     星がまたたくあの星見れば くわえ煙草もほろにがい
四、 赤い夕陽が波間に沈む 果ては何処ぞ水平線よ
     今日も遥々南洋航路 男船乗りかもめ鳥

ゆっくりと海に抱かれてお休み下さい。写真はブラジルの和田さんが来別された折、別府で撮った一枚です。

http://captsato.net/


468.謹んでお悔やみ申し上げます。 返信  引用 
名前:吉川政晴    日付:2005/07/04(月) 09:47
 謹んでお悔やみ申し上げます。

 「whplan」では短い期間ではありましたが、たいへんお世話になりました。同病ですので心配していましたが、残念です。
こころからご冥福をお祈り申しあげます。

  平成17年7月4日   滋賀県米原市長岡978番地1 吉川政晴

467.栗本さま 返信  引用 
名前:MASAYO    日付:2005/07/03(日) 01:38
なんといっていいのか言葉が見つかりません。
どうされているかと気になっておりました。
本当にがんばられましたね。
いつも栗本さんの真正面にご病気と闘う姿勢を尊敬を持って
見てまいりました。
ご家族の皆様、心よりお悔やみ申し上げます。
お二人で登られた富士登山のお話、心に沁みました。

http://homepage2.nifty.com/kobeport/

466.とうとう逝ってしまったのですね。大きな存在感を残して。。。 返信  引用 
名前:和田 好司    日付:2005/07/02(土) 11:05
Original Size: 240 x 180, 8KB Original Size: 240 x 187, 12KB

『私たちの40年!!』のMLに桐井先生よりのお知らせと共に流しました。
ホームページでも特集を組む予定ですが、取り敢えず画像掲示版にまだ残っていた2003年9月にご一緒させて頂いた時の写真と書き込みを引っ張り出しました。下記URLをご覧下さい。
http://www1.ezbbs.net/11/yoshijiwada/


最近栗さんの掲示版には書き込みが無く淋しい限りでしたがそれでも毎週訪問していました。先週PCをリーインストールして【おきに入り】に入れる作業が滞り見落としていましたが大分煮お住みの桐井先生からお知らせとして下記通知を頂きました。
一昨年のけい子も一緒に大分の昭和の町豊後高田を妹さんとご一緒に4人で昭和30年代の給食でお昼を済ませその後近くの神社仏閣を案内して頂き別府駅前の割烹料理店で桐井先生夫妻、佐藤船長さんご夫妻の6人でオフ会を楽しみ次回再開を約したのですが。。。
今年4月にも福岡まで行きアビスパ福岡の試合を一緒に観戦できればとお誘いしたのですが、闘病中でお声も聞かれぬままでした。一昨年、別府を発つ時に態々見送りに来て呉れましたがそれが最後になるなど思いも及びませんでした。
週末に栗本さんを偲んでの寄稿集の特集を掲載したいと思います。安らかにお眠り下さい。
合掌

http://40anos.nikkeybrasil.com.br/


465.栗さん 待っててよ 返信  引用 
名前:西 隆巳    日付:2005/07/02(土) 10:46
 福岡より当地に越してきてやがて15年になります。
知り合いもなく閑を持て余していた頃、栗本さんとアマチュア無線で知り合い、
以来親しくお付き合いさせて頂きました。
ご一緒にパソコンを始め、延岡の先輩宅まで習いに走ったこともありました。 
銘水を汲みに遠くまで走りました。 なんだかんだとよくドライブしましたね〜。 
病気知らずの貴方がどうもおかしいと言い出して、病院を探したのはついこの間のように思えます。 
東京-大分を往復、いつも明るい顔をしてジムに通い、苦しかった筈なのに、グチを聞いたことがありません。 
葬儀に参列したのに まだ信じられません。
心からご冥福をお祈りいたします。


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