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350.面白い 作文 みっつけたー! 返信  引用 
名前:語り部爺    日付:2009/06/09(火) 05:20
昨年末不治の「腰痛」手術後 復活した(き)川先生、10年前の作文?を見つけたので紹介します。(文中 ハリソンとあるのは ハリソンフォードのことで 先生はその俳優に似とると誤信しています。又 B−(は)川というのは(き)川先生の同級生で今武者修行中に出かけてる図体の大きい気のええ先生のこと)
わが良き友 祇園武剣会
うーん・・ スタイルだけでもっていたハリソン(き)川は体重が5キロも増えてることに悩んでいた。このままだとバーコード(は)川のようになるのではないかと心配をしていた。「よし中学高校と腕をならした剣道でもしてひきしめよう」とひとりで叫んでいたところ たまたま家の前の(は)田さんが武剣会の関係者ということで 祇小で稽古ができるよう話してもらった。早速寝起きの悪いH−(き)川はなんと朝8時に行って正座をして待っていた。ところが9時になっても誰も相手にしてくれない。「わしゃ帰ろ」と思ったが足が痺れて動けない。10時過ぎようやく稽古も終わり、一人のおっさんが来て威張ったように「何年剣道しよったんか」とかいろんな事を聞くので 大口を叩いてやった。
するといきなり生徒を教えろと言い さっと後ろを向き 黒く艶やかな髪をなびかせ(当時は黒々とあったのだ)帰って行った。この頃が10周年記念大会の頃だった。
「わしは自分がしたかったのに」思惑の違いを感じながら次の日曜日に出かけた。この日子供達を指導していたのが 先週出合ったアルマゲドン(い)本と 生徒を壁に追い詰めしごきあげる 人前で話のうまい ハワード・ザ・ダック(あ)木と、年のわりに妙に元気の良いヨーダ(に)林だった。
しぶしぶ生徒を教える事となり 「初心者の剣道」等いろんな本を読み体を鍛えながら年月がたっていき H−(き)川もいつの間にか武剣会という剣道宗教にのめりこんでいった。何年か経ち 教師づらも慣れて 初心者を教えていた頃 B−(は)川が見学に来て「教え方が悪い」と 剣道暦の長いH−(き)川にかばちをたれたのであった。
「じゃあ おまえが教えたら?」のひとことでB−(は)川も我が宗教に入り込んでしまったのだ。この間 いろんな先生が出入りしたが 後輩のコンバヤシ進一だけが今日迄残ってくれているのだ。
H−(き)川は諸先輩に認めかけられた頃 両親の死去に会い 祇園を色々な事情で去ることになった。辛く寂しく引け目を感じながら 引越しをした。D−(あ)木いわく 「逃げた」・・・その通りだった。

解放されたと思ったのはつかの間で 引越し先の剣道クラブに捕まり 又指導員に戻された。しばらく続けていたが 祇園の各先生、保護者の皆さんを忘れることができず また舞い戻ってきたのであった。

まあこんなストーリーかな。振り返ると楠原先生、(た)川さん、多種多様な人々と出会い 仲良くできたこと、大人になって こんな友ができるとも思わなかった。こんな素晴らしい あほ集団は後にも先にも出会うことはないと思う。
D−(あ)木がいつも言ってたように 自分達の教え子がわしらの後を継いでくれたら最高じゃん!。
今がその時。(さ)瀬、(あ)原、(く)田、(い)崎、(き)本、(な)野、ほか若い衆がんばれ!       おわり

○先日 (き)川先生に (た)川さんの思い出を聴いたら、皆で宮島の剣道大会に行って盛り上がった事、特に一般の部で(き)川先生が勝って思わずガッツポーズをしたら 応援席で一緒にガッツポーズをしてくれた場面。わすれられんといってました。
私(語り部爺)は、(き)川先生も (た)川さんも 無二の親友だと思っています。(き)川先生が自分の設計事務所の仕事が山のようにありながら (た)川さんの命を繋ぐ為 当たり前のように日赤に通った事実。武剣会の連中はこういうヤツばかりだと思っています。
 こんな感じの武剣会が絶えん様 皆様のお力添えをお願いいたします。

349.育成会その16 返信  引用 
名前:語り部爺    日付:2009/06/08(月) 14:22
育成会代々三役さんの変遷を中心に武剣会の流れを語ってるうちに 時代は昭和から平成へとうつってきました。
思えば昭和の祇園武剣会は 広島は勿論、国内においても異色、出色の道場ではなかったでしょうか。故郷祇園を剣道の街にしようと燃えた藤田先生。かって隼戦闘機乗りで 戦後、全国に先駆けて 山口剣連を立ち上げた楠原先生を擁し、発足2年目から 「県下少年剣道大会」を主催。又 多くの人たちの浄財で立派な剣道場を作り上げ、 徳目を掲げ、多くの有為の人材が巣立ちました。当時 現剣道連盟の他に大日本武徳会にも所属、熱心に活動していた為 言われなき差別と闘わなくてはならなかったこともありましたが、今その頃の剣士達が 熱心に後輩を指導してくれています。土曜日の稽古などでは 指導者の数、10名は下らず、多い時は20名を超えています。又、かっての 保護者の方々の 何かにつけての「集い」が今も尚 衰えることなく賑やかに続いています。
素晴らしいことだと思ってます。
平成になってからの様子は (と)梶、(か)松、(て)井、(は)やし、(さ)伯、(の)村さん達を始めとする皆様方に 自主的「語り部」役となっていただいて 書き込み頂く事を期待しています。
いついつごろの事ですが・・・・ということであとさきバラバラオッケー。楽しみにしています。宜しくお願いします。

158.育成会 その11 返信  引用 
名前:語り部    日付:2007/09/21(金) 19:22
昭和58年の育成会は会長(す)山さん、副、(た)川さん、事務局(い)崎さん、会計(う)田さんの陣容でした。(た)川さんは、おなじみの「mamimamiさん」のお父さんです。この年、武剣会はスポーツ少年団に加入。(た)川さんも、(く)原先生をはじめとする指導者数名と一緒に「スポ少指導者講習会」なるものに数回参加されました。この頃の前後数年間が何かにつけて少年剣道界も武剣会も一番もりあがっていたのではないでしょうか。ライオンズ大会ではいつも3〜4名「優秀賞」もらってたように思います。昭和51年から始めた武剣会主催の「県下少年剣道大会」は年々参加チームがうなぎのぼりに増え、参加に制限を加え始めた程です。三滝山多宝塔奉納大会「一般の部」に初めて参加し(い)本先生の活躍で3位になった年でもあります。 この頃の
稽古は、今に比べると緊張感があり、それにしょちゅう出稽古に「己斐」や「安西」に行ったものです。試合の前日は「特訓稽古」もよくしました。広経大剣道部の面々も稽古によく来てくださいました。中でも
(ふ)本先生は、卒業後も数年間面倒を見てくださいました。その様子を(い)本一憲先輩の「回顧録」から紹介します、



159.Re: 育成会 その12
名前:語り部    日付:2007/09/21(金) 20:02
「もう水曜日、ややっ日曜日、又試合」、、、、、、、、、、、、
本当にいろいろなことがありました。水曜が来る度に今日は何処か痛くないだろうかとか わざと怪我をして休もうかなど、どうやって休もうかなどばかり考えていました。一時心底から水曜日の稽古が嫌いになった時がありました。(ふ)本先生が祇園の練習に来られるようになってからです。あの先生の稽古は本当に恐ろしかったのです。あの竹刀で背中を思いっきり叩く、さらに投げ飛ばす、こかしまくる、他から見ればまるで柔道かと思うような練習でした、もう剣道がいやでいやでなりませんでした、あの先生がジャージの襟をたてて丸いめがねをかけて体育館にふらっと来られた時などもう本当に泣きたくなりました。しかもそのやってくる時間がふつうの稽古が終わる時刻、となると当然一度解散してから、この言葉。「○年生以上は残って稽古、(ふ)本先生にかかったものから帰って良し!」と言われその○年生以上に百%と言っていいくらい自分が入っていたのです、、、、、、、、、、、、
もうこの世の不幸をすべて背負ったような気分でした。
ところが
神様はいるものです。あの(ふ)本先生が祇園を去られると言うのです。あの時は本当に嬉しかった。しかし、今にしてみればあの先生は僕らにいろんなものを残して去っていかれました。数え切れないほどの涙、憎しみ、恐怖感、そして根性とを、、、、、、、、、、、
(ふ)本せんせいには会いたくないが、会いたいという複雑な気持ちを持っています。今度会った時は、、、。    (終わり)


160.育成会 その13
名前:語り部    日付:2007/09/23(日) 08:26
広経大剣道部(ふ)本先生の話がでたので、武剣会と経大剣道部のつながりについて一寸触れておきます。昭和50年発足当初、子供達の指導の手伝いをお願いに行ったところ(ま)鍋主将が即快諾。(か)藤2回生が当時入部したての1回生を引き連れて通っていただくようになりました。(ふ)本先生はその1回生のメンバーの一人でした。東京(駒場学園高)で3段とってることが自慢で、動きも早く、武剣会発足記念大会では大勢の参加者の前で 薙刀との異種試合に出場、ヤンヤの喝采を浴びました。(こうした縁でその後十数年間自分達の稽古を終えた部員達は武剣会に来てくださり続けました、当然稽古はきつくなり、剣道をやめる子が続きました、しかし、若い大学生の熱心な指導は、子供達に良い影響も数多く与えました。このことについて 又の機会にお話しましょう) 土曜稽古に時々おこしになる(や)田先生もそのときの1回生。嬉しいことに息子さんが今春広経大を選択。(野球で毎日汗をかいてるそうです。お父さん同様、将来、主将に推されるでしょう)。ここで先生が武剣会十周年の際、寄せられた文を抜粋紹介いたします。


161.Re: 育成会 その14
名前:語り部    日付:2007/09/23(日) 09:17
過ぎ去ってみれば  (や)田信二先生(昭和59年寄稿)
これは、今から8年も前、そう、まだタイル屋の先生の頭が黒々と茂り、まだ布団屋の先生の脚は、まっすぐ伸びていた頃の話である。その頃、広経大のふもとの某旧家には、世にも恐ろしい剣豪達が集うことで、広島かいわいでは特に有名であった。ここを無断でたずねたものは、決して生きて帰れないと言い伝えさえあったそうだ。筆者他、経大1回生、7名のものは、この恐怖の館の実体を解明せんと祐然と出かけたのであるといえば格好よいが、実は子供達の剣道大会の後に、その当時、自称、祇園武剣会きっての使い手、(い)勢氏に連れてこられたのである。この恐怖の館、すなわち、(い)本邸は、みるからに質実剛健の気風が漂い、気の弱い我々は一歩踏み込むのをためらったがそこは大猛勇心、俺も岩国の剣道家のはしくれと勇気をふるいたたせて踏み込んだのる。中に入り恐る恐る剣豪達「(い)本先生、(あ)木先生、(い)勢先生」の顔を見ると、みな、眼光鋭く筋骨隆々   
として、、、、、、、、、、、
この夜、我々はこの剣豪達の剣の腕、人格等、何もわからないまま、「剣は人なり、心正しければ県又正しからず」剣道家に悪い人がいるはずがないと信じて、師弟の盃を交わしたのである。
これが私達と祇園武剣会との出会いです。そしてあれからもう8年、藤田先生の厳しい掛り稽古、楠原先生の楽しいお話、そして、ちょっぴり甘くて切ない恋の思い出等、思い出せばきりがないくらい色々な楽しい経験、人生勉強を武剣会のおかげでさせていただき、私達は他の大学生の何倍もの充実した大学生活を送らせていただきました。、、、、、、
これから私達が立派な社会人となり、また、剣の道を究めることが、なによりのおんがえしではないかと思います。
また、私達と一緒に稽古した子供達が立派に成長して、武剣会の先生方を助け、もりたててくれることが、私の願いです。


348.育成会その15
名前:語り部爺    日付:2009/06/07(日) 19:39
昭和59年、(す)山さんの転勤にともない (た)川さんが会長を引き受けてくださり、事務局(い)崎さんがあさひが丘に転居される迄強力な2人3脚時代が生まれました。、その間、会計は(か)口さん、(う)田さん、(お)崎さん、(や)崎さんにバトンタッチされていきました。何事にも積極的な(た)川会長さんは  体協行事にも剣道部長として参加いただいたり、又、年2回のゴルフ行事も立ち上げられました。今では「親父と息子(娘)ペア」参加も年々増加、遠く京都、大阪からもかけつけてくれるOBもいて誠に意義ある行事に発展しています。「ゴルフ会に現役育成会の方の参加、武剣会OB剣士の飛び入り参加、大歓迎!」

当時、mamimamiの兄こと(た)川学也くんは 特別強かった。部内月例会などでは小学三年生でありながら、 高学年クラスに入って活躍。四年生の時には、5,6年生を相手に度々優勝してた。同級生に (う)田、(か)口、(す)原、(な)谷といった強いメンバーが揃っていた。特筆すべきは今、歯科医院院長(く)原君、筋が良く、短期間のうちに上達、先を期待したが 受験の為か まもなく退部。初めてめんをつけて稽古したときの「きらきらした眼」が未だに印象に残っている。

先日、この頃 役員をしてくれていた奥様方、 (た)川、(う)田、(お)崎さん達とお話を聞く機会がありました。10数年振りでしたが その美貌ぶりは全く衰えてはいませんでしたが 「物忘れは年々ひどくなるわ」と謙遜?されてました。しかし 武剣会に関する想い出は仔細にわたって尽きることなく 同席した 「3」爺様達はただただ、懐しいばかりでした。

平成2年 (た)川さんは、(と)梶さんに会長職をバトンタッチ。その後 陰に日向に 会の活動を支援してくださいましたが 急性骨髄白血病で 平成6年6月29日49歳の若さでなくなられました。 私達は本当に驚き 嘆き悲しみました・・・・。その頃のことは良く覚えています。当時(た)川さんに合う新鮮な血液が必要でした。私達の仲間で提供できる血液型だったのは (き)川先生(当時42才頃)のみでした。彼は快く、数ヶ月間、週に2度、日赤に出向きました。

(た)川さんは なにせ 良く働く人でした。 ハンサムで笑うと小さなえくぼができ、唄もうまかった。18番は「うしろ姿」。今でもみんなが集まると 誰かが 「(た)川さんのうしろ姿」と言って必ず唄います。「mamimami の兄」学也君は 今 亡きお父さんの会社で活躍してます。いずれ 転勤で広島に必ず帰ってくるでしょう。

345.訃報です 返信  引用 
名前:番外爺    日付:2009/06/04(木) 23:23
(訃報)(い)崎先生のお母さんが亡くなられました。あまりにも早いご逝去(享年60歳)でした。謹んでご冥福をお祈りいたします。かってこの欄(語り部爺)で紹介したように、育成会事務局を多年にわたり引き受けてくださり 現在の会の基礎を築いてくださいました。
「本当にご苦労をおかけしました。本当に有難うございました。安らかにお眠りください」
願わくば これからも 天国から「祇園武剣会」の活動を見守ってください。  通夜6月5日(金)6時から。   葬儀6日(土)10時から。エルセルモ玉泉院大町会館830−0948



346.Re: 訃報です
名前:3姉妹の母    日付:2009/06/06(土) 00:02
昨日、N村育成会会長夫人からも(い)崎先生のお母様の事を連絡いただき 今日のお通夜に行かせていただきました。
私事で、ずいぶん遅い時間になったのですが、U野さんやHやし君と一緒に お母様のお顔見せていただきました。
本当に優しい顔されてました・・・
きっと(い)崎先生もお母様も想いは、たくさんあってでしょうね。
でも なんとなくですが、(い)崎先生を あんなにすてきな人に育てられて、生涯の伴侶をみつけられて幸せにされている姿は、母としても 幸せと思われていたのでは・・・
私たちもいい出会いをさせていただき (い)崎先生のお母様に感謝してます。
ありがとうございました。


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