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獺祭掲示板
山口県の地酒「獺祭」とは何の関係もありません。ただの古代史好きの個人サイトの掲示板です。
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638.
立派な内容で大変重宝しています。
返信
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名前:
加藤 公一
日付:2012/01/15(日) 11:46
お元気でしょうか?
ご提供の情報には感嘆感激の言葉しかありません。
よくまあこれだけのものを用意されたものだと。。。。
本当にご苦労様でした。有難うございます。
更新暦が古くなってるので、大変気になっています。
是非是非、お話でも伺えれば嬉しく幸いな事であります。
突然の連絡での失礼、ご容赦お願い申上げます。
以上
加藤 公一
東京都杉並区桃井1−29−20
〒167−0034
電話:03−3390−0817
639.
Re: 立派な内容で大変重宝しています。
名前:
管理人
日付:2012/01/21(土) 14:55
加藤さま
書き込みありがとうございます。
病気いたしまして、列島編、半島編の更新は
ご指摘どおり日本書紀の途中までで滞っております。
ご心配いただきありがとうございます。
まあ、これからも少しづつ進めてまいります。
ただし、もっとも、現今のところ私の興味は
司馬遷と遷が宮刑を受けるにいたった
李陵の事件に深く惹かれており
サブサイトの「〜特別編〜天道是か非か」のほうで
史記や漢書の白文と日々格闘(?笑)しております。
ご興味があれば、そちらのほうもご覧ください。
またお暇なときにでも書き込みいただければ幸いです。
お待ちしております。
637.
古代史は石渡信一郎抜きでは語れない
返信
引用
名前:
むらかみからむ
日付:2011/12/03(土) 01:38
いろいろ日本古代史の本や論文を読んできましたが、
各地にある古墳の絶対年代を正確に求めた上で、
古代史のことを論じているのは、石渡信一郎だけですよね。
古墳時代はAD350年から始まります。
弥生後期は260年頃から350年頃までです。卑弥呼は弥生中期ですよ。
で、その論拠は稲荷山古墳の鉄剣の辛亥年=531年。
決して471年ではないことです。これだけで十分でしょう。
古代史の通説は 古墳の絶対年代が 60年から100年 古すぎるのです。
だから、大仙古墳に 531に継体=仁徳天皇【同一人物】のモデルになった
百済から来た余紀が寝ていることに気がつきません。
また、誉田山古墳に 余紀の兄である 507年に死んだ
応神天皇=ヤマトタケルのモデルになった昆支が寝ていることにも。。。。
結果 創られた大王雄略が大手を振って活躍してしまっています。
この説は『雄略天皇はいなかった』からスタートして
『聖徳太子もいなかった』と続いていきます。
皆さん、60年新しくもどって 日本書記を読みましょう。
古代史を語るには 石渡信一郎をぬきには語れません。
でで、古代史の通説では 稲荷山古墳の鉄剣の辛亥年は
AD471年になっているようですが 本当でしょうか。
私は 531年であると思いますが そうでない理由を
日本書紀に頼らずに 教えて下さい。
稲荷山古墳は 日本の古墳全ての年代をきめる
絶対年代の基準古墳ですよね。
通説での古墳の年代は 少なくとも 60年古すぎのですよね・・?
で、日本書記に書いてあることが本当かどうかを検討するが古代史の使命ですよね。
なのに 書記に書いてあること すなわち 雄略大王が実在したとして
古墳の年代を決めているのが 通説のように思うのですが?どうでしょうか?
『雄略大王はいなかった』から 始めるべきではないでしょうか?
なお、以上が むらかみからむが 石渡信一郎を信じる根拠です。
635.
はじめまして
返信
引用
名前:
白髪
日付:2011/11/10(木) 18:24
古代や明治に成り済ましがあったのではないかという妄想から歴史に興味が湧きインターネットサーフィンでこちらに辿り着きました。
聖徳太子とは舒明天皇で中臣鎌足であり小野妹子であり蘇我馬子なのではないかと思っております。 鹿島神宮から春日大社に白鹿に乗り遣ってきたのが舒明(中臣鎌足)なのではないかと妄想しています。 日出国の天子とは単なる常陸の国出身の太子という意味なのではないかと感じています。この時代の大虐殺や原爆投下の大虐殺は成り済ましの発覚を恐れたことから近親者(過去を知る者)を抹殺したのではないかと妄想しています。
636.
Re: はじめまして
名前:
管理人
日付:2011/11/20(日) 08:59
白髪さま
はじめまして。管理人です。
弊サイトをごらんいただきありがとうございます。
今後ともよろしくお願いいたします。
634.
十七夜に
返信
引用
名前:
管理人
日付:2011/09/14(水) 03:28
我が夢を破りて明き十七夜月
夜明けかと床起出す十七夜月
隣の家の壁にくっきりと我が家の屋根の影が落ちている。月が空をめぐるに連れて、その影も刻々隣家の壁を巡っていく。
ベランダに出てみれば干し残した洗濯物の上に落ちている月光が、霜かとばかりに輝いていた。
632.
大丈夫でしょうか?
返信
引用
名前:
浦木裕
日付:2011/03/12(土) 14:46
遥かなる台湾なのですが、沿海で津波警戒区に入ったため、強制避難命令食らって只今地元に戻りました。日本に居る皆さんのご無事を祈り致します。
http://miko.org/~uraki/kuon/
633.
Re: 大丈夫でしょうか?
名前:
浦木裕
日付:2011/03/14(月) 15:47
Twitter確認しました、ご無事のようで少し安心しました。
http://miko.org/~uraki/kuon/
631.
貴重な原文ありがとうございます!
返信
引用
名前:
春野一人
日付:2010/12/04(土) 03:36
今,ネット上で小説をかいている者です。サイト 小説を読もう! のカルカヤの歌、磐井の反乱伝説の筆者です。三国史記の原文が欲しかったのですがネットにラッサイさんのサイトを見つけ利用させて頂きます。とりあえずご挨拶です。です。
629.
聖徳太子平氏傳雑勘文について 追記
返信
引用
名前:
神谷政行
日付:2010/11/27(土) 19:42
古代史獺祭さま
前回ご報告しました神谷と申します。
貴方の原文に基づき、議論した内容を自分のホームページに掲載しました。その際、誠に勝手ながら、貴ホームページにリンクを貼りました。
ご了解頂ければ幸いです。
古代史獺祭さんのサイトの重要性を改めて感じました。
ありがとうございました。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~kamiya1/mypage632.htm#聖徳太子平氏傳雑勘文
630.
Re: 聖徳太子平氏傳雑勘文について 追記
名前:
管理人
日付:2010/11/29(月) 20:56
神谷さま
わざわざリンクのご報告をいただきありがとうございます。
弊サイトがお役にたてたとのこと、なによりうれしく思います。
ただひたすら営々とこのようなサイトを作っておりますと、時には根気ややる気が失せてしまうのですが、時折神谷さまのように「役に立った」とおっしゃってくださるかたがいらっしゃるので、それが嬉しくもあり、またやる気も湧いてまいります。今後とも弊サイトをよろしくご支援くださるようお願い申し上げます。
625.
掲示板ではお久しぶりです。
返信
引用
名前:
浦木裕
日付:2010/10/25(月) 15:19
獺祭主人様:
こんにちは、浦木裕です。
この間、『日本紀竟宴和歌』の電子テキスト化を始めた事はもうご存知でしたね。普段、漢字を訓読みしない私には、やや理解に苦しむ所が結構出てきます。そこで、貴サイトの『日本書紀』の、特に読み下しのコンテンツには大変お世話になりました。
http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/kyouen/nihonki/nihonkikyouen.htm
もし宜しければ、今後も齷齪せずに、ゆっくりと『日本書紀』の電子化および読み下し公開に進んでくださいませ。
竟宴和歌作成の件、
http://blog.livedoor.jp/kusitama/archives/51872246.html
http://blog.livedoor.jp/kusitama/archives/51865997.html
Munyuさんにも大変お世話になります。この場を借りて感謝な気持ちを表したいと思います。
週刊新マンガ日本史はすでにご覧になったのでしょうか、個人的にはツッコミ所多しな感じがありますが...(汗)まぁ、見ても損にならないと思います。
http://miko.org/~uraki/kuon/
628.
Re: 掲示板ではお久しぶりです。
名前:
管理人
日付:2010/11/07(日) 20:39
浦木さん、今晩は。この間メッセンジャーでおはなしできたので、こちらの掲示板のチェックを怠っていました。本当に失礼しました。
あいかわらず精力的に貴重な文献をサイトにUPなさっているので、もう感心するばかりです。Munyuさんもお元気なようですね。何よりなことです。
私の方は少しづつ亀のようなノロさですが、快方に向かっているように思います。しかしメンタル系の病気は怪我などとちがって「はい、治りました」というワケにはいかないものですね。
やりたいことはまだまだいっぱい有るのに、それができない苛立たしさはありますが、何度も言いますが気長に根気よく治療を続けるほかないようです。
626.
聖徳太子平氏傳雑勘文について
返信
引用
名前:
神谷政行
日付:2010/11/07(日) 11:32
はじめて掲示記入させていただきます。
古代史獺祭さんのサイトは部分的ですが拝見していました。
最近自分のサイトに、古代史獺祭さんのサイトを見て思いついたとして、大変貴重なご意見をいただきました。
上宮記の引用記事で、長谷部王の「娶大伴」以下の部分が崇峻天皇のことと混同しているとして、崇峻天皇の年齢は72歳ではなく36歳で、自分のホームページでの積み上げ方式で求めた34歳と近いとご連絡頂いたのです。
ついうれしくて、ご報告をさせていただきました。古代史獺祭さんのサイトがこれからもいろいろな方に役立つことを願ってやみません。
ところで、「聖徳太子平氏傳雑勘文」の上宮記の引用記事は「上ノ三」ではなくて「下ノ三」ですね。自分は間違いの多い人間でこんなこと言える立場にありませんが、一応ご指摘させて頂きます。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~kamiya1/
627.
Re: 聖徳太子平氏傳雑勘文について
名前:
管理人
日付:2010/11/07(日) 20:29
神谷さま
はじめまして。管理人です。
弊サイトをご覧いただきありがとうございます。また、貴重なご指摘をいただき御礼申し上げます。
さっそく調べましたところ、ご指摘通り「聖徳太子平氏傳雑勘文」の上宮記の引用記事は「上ノ三」ではなく「下ノ三」の間違いでした。「上ノ三」と記しておりました部分はただちに修正し、現在は「下ノ三」に修正済みでございます。神谷様にお教えいただかなければ、誤った情報を掲載し続けていたところです。このような基本的なところで間違っていたかと思うと冷や汗が出ました。
またなにか間違いを発見されましたら、その際にはご教示いただければなによりの幸いと存じます。皆様のお力添えでよりよいサイトに成長して行ければいいなと考えております。
本当にありがとうございました。
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