鋼。一昨夜だったか、テレビで村上龍が対談の中で、「どんな言葉もそのものは軽い。結局は物語性の中でのみその重さは計り知れないものになる」というようなことを言っていた。動かし難い重さ、現実。緊張とともにそれを受け止める時、言葉は鋼になるのかもね。はがねくんがきっと無事に一山こすことを祈ります。鉄をさえ切る鉄を持っているのだから、首尾よく乗り越えるでしょう。そうですね。鋼と感じるほどに感覚が研ぎ澄まされ刃が切るべきものに向って一直線に振り下ろされる、そのときこそ重い現実は快哉。言葉は軽やかにはばたくのだけれど、それは仕事をし終えた職人の汗の光と同様だよな。
と、さらさらと書いたところで、一体何が変わるというのだ。何も語らず、働く。鋼は鉛になる。はがねくんの物語の輪だちが炎に包まれる。やがて灰にもなるだろう。雪の降る山奥で、君の言葉を受け継ぐべき、生まれつつあることの結果を精根こめて見守りたまえ。「観察」は、新しい発見を贈ってくれるだろうから。
と、時は流れていく。泣いたり笑ったりすることがそうなのだ。
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