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中国大好き人間の掲示板

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2332.セリーヌ 傘 返信  引用 
名前:セリーヌ 傘    日付:10月19日(土) 19時47分
美姫ちゃん、皆さん、こんばんは★13日昼公演のPIWに行ってきました。美姫ちゃんの演目は「Amazing Grace」であまりに美しくて涙がいっぱい出てきました!AOIで観た時よりも体にパワーがみなぎっているというか…動作のひとつひとつが綺麗でした。ふれあいタイムで初めて美姫ちゃんと握手して頂いて、お話もしかたったのですが「あの憧れてた美姫ちゃんが…!」と思うと泣いてしまって、おめでとうございますと言うのが精一杯でした。「泣かないで〜」と言ってくれた美姫ちゃんは、インタビューなどで受ける印象と同じく、優しくて本当にファン思いな方なんだなって実感しました。TVやショーで観る美姫ちゃんは腕が長くてすらっとして大きい印象があったんですけど、本物の美姫ちゃんはとにかく細くて小さい!って思いました。鼻も高くて可愛すぎました…☆やっぱり美姫ちゃんの演技からは力をもらえます!美姫ちゃんが笑って今シーズンを終えられるように…!全力応援です!!
http://izutsuma.com/

2331.株式会社SUMICOのブログからの転載・・・善い独裁 返信  引用 
名前:株式会社SUMICO    日付:05月01日(水) 10時19分
 維新の会の橋下氏も中国化政権である。彼は独裁という言葉さえ口にしたことがあるくらいだ。彼もまた中国はお嫌いだったのだろうが、政治家に転身してからはそのことは言わない。大阪にとって中国は大切な取引先であるからだ。橋下氏は大阪と言う社稷の繁栄のために自らに妥協を強いたのかもしれない。しかしこれは優れた政治家の資質であり、独裁者としても優れた人材であると言っていい。
 独裁というと私たちはアドルフ・ヒットラーを連想してしまう。マイナスイメージが付きまとうのだ。民主主義と独裁にはそれぞれのメリットとデメリットがある。民主主義の場合、意思の決定に時間がかかり、そのコストも高いものになる。悪くすれば衆愚政治に陥るが、多数の総意を根拠とするため大きな間違いを犯す可能性が少ない。
 独裁は意思の決定がスピーディーに行われるというのが最大のメリットだ。橋下氏のような大きな改革を行う場合には非常に有効な手段である。独裁者が優れた人物である場合は善政が行われるのだが、一歩踏み外すと大きな誤りを犯す可能性が高いのだ。独裁者が優れた政治を行った例は歴史を紐解いても枚挙にいとまが無い。だが、独裁者が悪政を行ったケースもあまたあるのだ。善き独裁は善き民主主義に勝る。しかし悪しき独裁は悪しき民主主義にも勝てないのだ。西欧諸国はその歴史的な経験から民主主義を選択し、それを唯一の正義として植民地に移植した。
 中国化モデルは皇帝という独裁者の下の平等な競争社会である。皇帝には徳が要求された。徳をもって政治を行うのだ。儒教は善い独裁のためのテキストだと云って良いかもしれない。 中国の神話時代の王「堯(ぎょう)」は自分の血縁者を後継とせず「舜(しゅん)」に王権を禅譲した。彼の優れた徳を見抜いていたからだ。堯舜の時代は理想的な政治が行われた聖王の時代であることになっている。神話的な世界であるからその実情を知るすべもないのだが。
 とりあえず、どこかの国のように世襲によって独裁者を選ぶことだけは勘弁してもらいたいものである。
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2330.株式会社SUMICOのブログからの転載・・・中国化政権 返信  引用 
名前:株式会社SUMICO    日付:04月30日(火) 10時54分
 再び「中国化する日本」を取り上げてみることにする。ここから敷衍して現代の日本を考えてみたい。

 小泉政権や安倍政権は間違いなく中国化政権でる。お二方とも中国はお嫌いかも知れないがその政策は中国化そのものである。規制撤廃によって経済をより自由なものとし、国際競争力のある国を目指す。これによって生じる競争による経済格差についてはある程度容認している。これが悪いことだとは言わない。政治のひとつの方法論である。
 「中国化する日本」の著者與那覇 潤氏は「中国化政党」と「江戸化政党」の二つの政治モデルに分かれて政策を争えばいいのではないかと提案しておられる。冷戦が終わった今、もはや資本主義か社会主義かといった対立軸は無効になっているし、そもそもこの対立は西欧の政治モデルなのである。
 日本の伝統的かつ歴史的な政治モデルは「中国化」と「江戸化」である。前者は競争を容認するが格差社会が拡大する。後者は競争を抑制する分だけ個人の自由も抑圧される。能力のあるものにとっては前者が望ましいだろうが、大量の敗者を生み出すことになる。後者の場合は格差は広がらないが能力や努力に対するインセンティブに欠けることになる。メリットとデメリットはそれぞれにあり、これから日本がどういう選択をするかにかかっている。
 中国化はグローバリゼーションである。現代の世界的潮流はこちらに軍拝をあげるだろう。江戸化はご存知のとおり鎖国政策に近くなるだろう。TPPに対する考え方も明確に違ってくるはずだ。中国化ならば自由貿易を徹底させる方向になるし、江戸化ならば規制を設ける鎖国的な政策になるのである。
 アベノミクスに対抗するならば江戸化政策以外に無いと思う。江戸化も日本特有の優れた政治モデルなのだ。だだし、偏狭なナショナリズムに陥ることだけは止めてもらいたい。これは阿倍総理にも言えることなのだが。
http://sumico1.blog.fc2.com/blog-date-201302.html

2329.株式会社SUMICOのブログからの転載・・・授業料 返信  引用 
名前:株式会社SUMICO    日付:04月26日(金) 10時16分
 私は親中派である。親中でも反中でもないといういい加減なことは言わないことにしている。だから何が何でも中国が悪いとは考えない。中国には良いところもあれば悪いところもある。そしてそれには必ず原因がある。私は歴史を知ること、さらに考えることによってそのことを理解してきたつもりでいる。
 今回は中国の悪い話である。中国人に話すと不快な顔をされるに違いない。だから中国人には内緒にしてほしい。
 初めて上海に旅行したとき列車に乗って蘇州へ行った。蘇州ではレンタサイクルを借りて庭園巡りをした。レンタサイクルを借りるために百元(当時のレートで千四百円くらい)をデポジットとして支払い、自転車の返却時に返してもらった。その日のうちに上海にもどり街の食堂で夕食を食べた。代金を払おうとすると店員が「没有(メイヨー)」と言う。「このお金は使えない」というのだ。店員が青いライトを放射する機会を持ってきて私の出した百元札をライトに当てた。「メイヨー」これは贋札だというのだ。騙された。あのレンタサイクルのオヤジに騙されたのだ。いまさら蘇州に取って返すわけにもいかない。私は泣き寝入るするしかない。
 旅のトラブルである。私はこういうのを授業料と呼んでいる。騙された経験も軽微なものであれば 土産話として許せる。それに偽札というものを初めて見たのだ。くだらない土産物にお金を払うよりよっぽど貴重な体験ができたというものだ。こういうことを書くとバック・パッカーのお兄さんからは旅をなめているなどと批判されそうだが、海外を旅するとはこんなものだ。旅にトラブルはつき物なのである。
 帰国した際、空港の税関でこの偽札を見せた。「これは贋札だといわれたのですが、持って帰ってもいいものでしょうとか」と私は聞いた。税関の職員さんも仕事に熱心な方のようで 「私もこういうのは初めて見ました。今後の参考に譲ってもらえませんでしょうか」と返された。「いやいや、これは旅の記念ですから」と、私は税関の職員さんの申し出を丁重にお断りしたのだった。
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2328.株式会社SUMICOのブログからの転載・・・中国化する日本4 返信  引用 
名前:株式会社SUMICO    日付:04月25日(木) 11時15分
 日本にも中国化政権の歴史がある。「中国化する日本」によると、平清盛政権・建武の親政政権・足利義満政権がそれにあたるという。これらは身分制の枠を破壊し経済の自由化を図った政権である。。
 ところが日本には中国化とは全く別の流れがある。「江戸化」の流れだ。江戸化とは身分制により固定された社会であり競争が極めて少ない。能力よりも門閥が重要視されるのである。実力があっても出世はできない。そのかわり家には代々の役職や仕事があり競争社会に勝ち抜かなくても生活がある程度保障されているのである。ただしこの保障は家の惣領にだけ与えられ、次男や三男は江戸や大阪などの都会に出て奉公するか、一生飼い殺しにされるかであった。「姥捨て」や子どもの「間引き」なども行われ人口の調整が人為的に行われた時代でもある。
 日本の平等主義者たちのなかには激烈な競争社会よりも江戸時代のような農本主義社会にユートピアを見る傾向があるように思える。しかし江戸時代は門閥主義であり平等主義の正反対なのだ。
 日本の歴史は中国化と江戸化のせめぎあいの歴史である。平清盛政権の後には鎌倉政権という江戸化モデルの元祖になった政権が登場する。その後、建武の新政による中国化、足利尊氏による江戸化、足利義満による中国化。戦国時代は旧来の身分制が破壊された時代といってもいい。そして江戸幕府の登場により三百年近い文字通りの「江戸化」の時代を迎えることになる。
 江戸幕府を転覆したのは身分制の中で虐げられた実力のある下級武士たちだった。彼らは江戸化のなかでフラストレーションを募らせていたのだろう。明治維新政府は天皇制のもとで市民平等を実現し、経済的には富国強兵・殖産興業をスローガンとした中国化政権の典型であるといってよい。
 戦後の日本は江戸化の道を辿ったのだと思う。終身雇用制という日本企業のシステムが緩やかな門閥を形成し、一億総中流化の幻想のもと競争が最小限に抑制された。
 いま、そんな時代が終わろうとしている。
 グローバリゼーションのなかで日本は再び中国化に舵をきろうとしているように思える。
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2327.株式会社SUMICOのブログからの転載・・・中国化する日本3 返信  引用 
名前:株式会社SUMICO    日付:04月24日(水) 12時19分
私は中国を批判しているのではない。相対的に世界を眺めるうえで西欧と中国を比較する必要があると思うのだ。
 新自由主義ということが云われ、西洋や日本でも経済格差の拡大や実力主義の是非が問われるようになってきた。「貧困大陸アメリカ」という本には自由の国アメリカでさえ、経済がより自由化されることにより、貧困により不自由を強いられる人々が増加していることが書かれている。日本でもこれに近い状況が生まれつつある。格差社会や新しい貧困の問題である。
 
 西欧の自由と平等は彼らが植民地から収奪することによって保障されていたというのは言いすぎだろうか。市民の自由と平等を保障するためには、その犠牲が必要だったのではないか。食うや食わずの社会では市民という感覚も育たなかっただろうし、自由や平等を唱える余裕も無かったはずだ。植民地から収奪された富が西欧世界の発展を支えてきたのだ。
 中国はその巨大さゆえか国外に犠牲を求めるのではなく国内で自給できたのだ。自由競争の敗者が収奪される対象になっていたのだと考える。そのため平等な競争が認められる反面、物凄い格差社会が出現した。
 今アジアは猛烈な勢いで発展している。南米やアフリカがこれに続くだろう。もはや世界に植民地のような収奪の対象が無くなったとき、国内にそれを求めることになるのではないか。つまりは日本においても競争に負けたものが収奪の対象にならざるをえない。
 日本の高度経済成長の時代も、日本人の豊かさを支えていたのが第三世界からの収奪である。日本という豊かな国がある一方で飢餓に苦しむ国々が存在した。日本の中に格差は無かったけれど、世界は格差に満ち溢れていた。
 おそらく今後は世界中が競争を始めることになる。日本と他国の競争ではない。如何なる国籍であろうが関係ない個人と個人の競争である。もはや日本に生まれただけで健康で文化的な生活を保障されるとは限らないのだ。
 こういうふうに言うと暗黒の未来を思い浮かべる方がいらっしゃるかも知れない。しかし第三世界の人々からすれば国家の条件によらず自分の実力だけで認められる世界はより健全なものに思えるだろう。先進国に生まれただけで豊かさを保障されるのは不公平で平等ではない。
 競争が世界的に拡散するグローバリゼーションは、世界をより平等にすると考えることもできるのだ。
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2326.株式会社SUMICOのブログからの転載・・・中国化する日本2 返信  引用 
名前:株式会社SUMICO    日付:04月23日(火) 10時59分
 平等主義の反対語が競争主義だと考えるのは誤りである。平等主義の反対語は門閥主義である。門閥によって身分が固定されれば競争が抑制され、優れた人材であっても出世することが難しくなる。誰もが競争に参加できるのは平等だからなのである。
 日本では明治になって平等な世の中になる。「天は人の上に人をつくらず」という福沢諭吉の言葉は、人類の博愛を謳っているわけではない。人は平等に生まれつくが、勉強して立派な人間になる者と勉強しないために無知な人間になる者がいる。学問の有無によって人間の価値が決まるという競争を奨励する思想なのだ。だからこの本の題名は「学問の勧め」という。明治時代が江戸時代と決定的に違うのは、誰もが平等に競争する権利を与えられたということだ。福沢は下級武士の生まれだったので、江戸時代の門閥主義を憎んでいた。福沢のような優れた人間も江戸時代ならば下級武士としてパッとしない人生を歩んでいたのだろう。
 中国では明治維新のような平等な時代が11世紀に始まっているのだ。平等でありかつ猛烈な能力主義であるが、皇帝だけは別格という国家体制である。中国ではこの政治モデルが受け継がれ今でも生きている。
 現代の中国は経済的に自由化された反面、国家体制は共産党による一党独裁である。経済の自由化と個人の自由化は西洋のように一致していない。経済の自由化が進んでも言論などの自由は厳しく規制されている。
 「中国化する日本」を読み終えて、私は中国共産党は中華王朝の一形態だと考えるようになった。共産党という皇帝のもと個人が競争する自由で平等な社会である。ひょっとするとこれは猛烈な自由競争により勝者が富と権力を独占し、敗者は奴隷的な労働に従事させられるという新自由主義的な発想にどこか似ているのかも知れない。
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2325.株式会社SUMICOのブログからの転載・・・中国化する日本 返信  引用 
名前:株式会社SUMICO    日付:04月22日(月) 11時12分
「中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史」(與那覇 潤著 文芸春秋)はここ数年で読んだ本のなかでも最も面白い内容だった。このタイトルから日本が中国に占領されるとか日本が共産化するなどという印象を受ける方もいらっしゃるだろう。だが、これは歴史の本なのだ。
 中国化とは何か?西洋の歴史は経済が自由化され発展する過程で、人権や個人の自由が認められるようになった。つまり経済の自由になることによって人間の自由が保障されるようになっていくのである。著者によると中国化とは経済のは徹底的に住だが、政治的・思想的には集権的であり不自由な状態をいうのである。現在の中国もそうである。経済的には自由、政治的には共産党の独裁である。この原因は中国の歴史を紐解けば判るという。中国の歴史は西欧のそれとは違う発展の仕方をしているというのだ。

 日本語で「近世」という言葉がある。日本では主に江戸時代を指す言葉だ。近世は英語ではアーリーモダン、つまり初期近代のことをいう。西洋の近世はコロンブスの新大陸発見を区切りとする説があり、だいたい1492年くらいの時代で始まったと考えることができる。近代のヨーロッパ世界は新大陸からもたらされた銀によって経済的に潤っていった。新大陸からの銀が枯渇すると、今度は世界中を植民地化しそこからの搾取によって経済を発展させた。経済が活性化すると市民階級が台頭し王族や貴族の権利に制限を加えるようになった。やがて革命の時代を向かえ自由と平等がスローガンとなり、国家は王族のものでなく国民のものとなっていった。国民国家(ネーション・ステイツ)の誕生である。西欧では経済的自由と政治的自由がセットで発展してきたのだ。
 中国の場合、経済的には西欧諸国より圧倒的に豊かであった。巨大な国土と人口は海外に植民地を求める必要がないほど充実しており、産業革命が起こるまでは技術的にも世界の最先端にあった。
 中国史に大きな区切りを入れるとしたら、宋の時代になるというのが歴史学者たちの定説であるそうだ。中国の近世は11世紀くらいに始まり、この時代に出来た制度が中国の国家モデルになっているのだという。
 宋の時代の中国で起こったことは貨幣経済の導入による自由主義的経済政策の導入と、貴族による門閥政治から皇帝による集権的な権力構造へのシフトである。自由主義経済は自由で平等な競争社会をもたらした。門閥政治替わって登場したのが、科挙という官吏登用試験に受かれば誰でもが宰相の地位に昇ることができる実力主義の世の中である。
 11世紀の世界では実に先進的な自由・平等主義なのだが、ただ一人だけ例外があった。それが皇帝である。皇帝は何人たりとも逆らうことが許されない独裁者なのである。皇帝のもと全てが平等で誰にも競争の機会が与えられた。優れた人材ならば如何なる身分に生まれようと登用され宰相の地位に登ることも可能であった。
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※株式会社SUMICOは中国との国際交流を通じてビジネスを行う会社です。
  このブログでは中国について感じたこと考えたことを書いていきます。
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2324.株式会社SUMICOのブログからの転載・・・華夷思想3 返信  引用 
名前:株式会社SUMICO    日付:04月18日(木) 10時16分
中国の歴史は異民族に対する征服の歴史でなく、むしろ征服される側の歴史であったと言ってもいい。
 ところが、中国を征服したはずの異民族はやがて中華文明に吸収されていくのだ。唐は鮮卑族のはずなのだが、唐の文化はまぎれもなく中華のものだ。モンゴルの元も中華の文明を吸収した。清にいたっては少数民族による支配だったにもかかわらず中華に溶け込んでいった。清が民族の文化にこだわったのは辮髪くらいだろう。満州族の乗馬用の胡服は中国のファッションに取り入れられてチャイナドレスの原型になったのだ。
 中国は征服されながら征服者の文化を吸収し同化しながら成長してきたと言って過言でない。中華は文明である。文明に接すると多くのものはそのなかに取り込まれていく。
 華夷思想を漢民族と周辺の民族の対立と考えるのは違うのではないか。文明とそれぞれの文化の対立なのであり、融合と同化の歴史である。文明は普遍性を持つが、文化はそれぞれの民族に固有のものである。文明は対立する文化を飲み込んでしまう巨大な器である。中華文明という言葉はあるが日本文明という言葉はない。中華とは民族の名前でも国家の名前でもない。今の言葉で言うならばグローバリゼーションのことなのだ。
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2323.(untitled) 返信  引用 
名前:株式会社SUMICO    日付:04月18日(木) 10時15分
 秦の後に中国を統一したのが漢である。漢民族の語源ともなった王朝である。その後がおなじみの三国志、そして南北朝時代へと続く。南北朝時代は周辺の異民族が割拠して王朝を建てた時代である。北朝を統一した北魏は鮮卑族の王朝である。中国を再統一した隋や唐はこの鮮卑族の血を色濃く継承している。
 その後、五胡十六国という異民族の王朝か割拠する時代になり、宋によって統一される。ようやく漢民族の王朝が登場のだが、宋は北方の金に揚子江流域まで圧迫され南宋となる。金は言うまでも無く異民族である。
 やがてモンゴル族の元の登場により異民族からの支配を受けることになる。元の支配は百年ほどで終わり、明が中国を統一する。これは漢民族の王朝だ。明のあとが清だから、こちらは満州族である。
 ざっと見ただけでも中国の歴史は中華が侵略されていく歴史だということがわかる。

つづく・・・
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2322.株式会社SUMICOのブログからの転載・・・華夷思想1 返信  引用 
名前:株式会社SUMICO    日付:04月15日(月) 10時34分
 華夷思想という言葉がある。中国を華(文明)として周辺の民族を夷(野蛮)とする思想で、日本人のなかにはこの件をあげて中国は差別的とする声もある。しかし、中国の歴史が少しわかってくると実情はずいぶん違うことに気づかされる。
 春秋戦国時代には黄河流域が中華であったのだが、その周辺には当時分裂していた中華の国家と同じ規模のものがいくつも存在していた。ただ文字による記録を残していないので、その実態は歴史の闇に閉ざされているにすぎないのだ。
 楚・呉・越は南方の夷の国と考えられていた。揚子江周辺は当時は中華でななく南蛮であったのだ。やがて楚が台頭し戦国の七雄に数えられるようになる。楚は何度も中原を脅かすことになる。楚王が中原の周王室に迫り「鼎の軽重を問う」たのは有名なエピソードである。
 中国を最初に統一したのも西方の秦である。秦は中華に属するものの後進国であり野蛮な風習が残っている国と言われていた。西の蛮族に接していたから混血もあったのだろう。
 日本人は中華が周辺の蛮族を征服することで拡大してきたと考えている場合が多い。ところが実態は周辺から侵食されることで拡大してきたのである。

つづく・・・
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2321.株式会社SUMICOのブログからの転載・・・エロい国 返信  引用 
名前:株式会社SUMICO    日付:04月12日(金) 10時08分
 来日したばかりの中国人留学生R君が僕に耳打ちした。「日本はエロい国だ!」R君は不安げな顔をしている。怒られるのではないかと思っているらしいのだ。私は笑ってしまった。確かに日本の街角にはエッチなポスターや看板が公然と並んでいるし、コンビニにさえエロ本が置いてある。おそらくこんな国は世界中探してもないだろう。
 私はR君に知恵をつけた。次からはこう言いなさい。「日本に来る前私は日本は偉い国だと思っていました。日本に来ると日本はエロい国だとわかりました。」
 R君は私の教えたとおりにいろいろな人にこの話をしたらしい。R君の驚きは日本人が誰も怒らないということだ。中国人ならば祖国が馬鹿にされたと怒り出すところなのに、皆笑っているし、時には「面白い」といって褒められることさえあるのだという。R君は日本人は悪口を言われても怒らない民族だと思ったらしい。
 日本人には諧謔という文化がある。これは非常に高度な精神性を必要とする感性である。ところがこれは高度なな文化である反面、世界中どこへ行っても通用するものではないということを理解しておく必用がある。
 中華は文明である。文明とは多くの文化を掬い上げる目の粗いザルのようなものであると司馬遼太郎先生が何かに書いておられた。文化は狭い範囲ににしか通用しないがきめ細かで繊細なものである。日本文化は高度なものであるのだが、文明のように世界性を持つものではない。

 この話には後日談がある。R君は自分のノートパソコンのメモリーに目一杯日本のエロ動画を詰め込んで帰国したらしい。やれやれである。
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  この項では中国について感じたこと考えたことを書いていきます。

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2320.株式会社SUMICOのブログからの転載・・・没有の国 返信  引用 
名前:株式会社SUMICO    日付:04月11日(木) 11時10分
蔵前仁一著「ゴーゴーアジア」に面白い話がある。今から30年位前の改革・開放前の中国にに旅行したときのエピソードだ。当時の中国は貧しく物資が不足していたし、共産主義国特有の官僚主義が蔓延していて様々なサービスがまともに提供されない。どこへ行っても「没有(メイヨー)」という言葉が返ってきて筆者が様々な旅のトラブルに巻き込まれるというものだ。没有は「無い」という意味である。何かを買おうとしてもメイヨー。列車の切符を取ろうとしてもメイヨーなのである。このエピソードのオチは筆者が「没有(メイヨー)」と言って中国人を困らせるところで終わる。
 この話を年配の中国人にしたところ不快な顔をされた。中国を馬鹿にしていると思って怒っているのだ。こちらにはそんなつもりはなく、ただの笑い話のつもりである。国境を越えると考え方や感じ方も変わる。私はそのことを忘れていた。
 日本人が特殊なのかもしれない。「ジャップ」という言葉は日本人に対する差別語なのだが、昔この言葉をタイトルにした漫画が存在した。もちろんクレームがつき改題されたが、クレームの主は在米の日系人だったという。日本人は侮蔑を含んだ言葉に対しても鈍感であると外国の人は判断するだろう。
 しかし、私はこの原因は日本語にあると思っている。日本語の面白さは言葉を読み替えたときに自動的に別の意味を付加するところにある。

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2319.株式会社SUMICOのブログからの転載・・・蒼穹の昴3 返信  引用 
名前:株式会社SUMICO    日付:04月10日(水) 10時08分
 「蒼穹の昴」の原作を読んだ中国の脚本家は、李鴻章をドラマから削除してしまった。原作どおり李鴻章に対して好意的な解釈をすれば、おそらくクレームの的になることになるからである。
 李鴻章は西欧列強との戦争をに反対し、まして日清戦争では日本に負けている。李鴻章は自らの私兵というべき北洋艦隊を動員までして負けたのだから、それなりに良くやったと考えるのは日本人ならではの考えだと思う。
 日本の幕末ものなどでは「西欧と戦に及べば日本は滅ぶ、西欧の植民地になる」といった台詞がでてくるが、これは当時としては坂本龍馬などの非常に先進的な人物の言葉である。幕末でも多くの日本人は攘夷が正しいと思っていたはずだ。李鴻章にも時代を見通す力があったのだと思う。
 日本ではこうした先進的な人物が維新を牽引し奇跡的な近代化に成功した。李鴻章は中国の近代化を牽引することができずに挫折し国賊視されることになった。なんだか可愛そうな話である。
 歴史的認識というものは国によって違っていてもしょうがないのだ。ただお互いに歴史を語り合ううちに「ほー、日本人はそんな見方をするのか。」などと思ってもらえれば、そこから新しい解釈が生まれるのではないかと思う。
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2318.株式会社SUMICOのブログからの転載・・・蒼穹の昴2 返信  引用 
名前:株式会社SUMICO    日付:04月09日(火) 10時13分
 李鴻章という人物の名前を日本人は学校で習う。日清戦争後、伊藤博文と中国側の全権大臣である李鴻章が下関条約を結び講和するのである。「蒼穹の昴」であるが、浅田次郎の原作では李鴻章が非常に重要な役割を果たすことになる。しかし日中合作ドラマでは影も形もないのだ。
 李鴻章は清朝において近代化に務めた官僚であり軍人である。現実派の彼は西欧列強との戦争をできるだけ回避する方針をとっており、日清戦争の開戦にも反対していた。十分な近代化を行わなければ戦争に勝てないばかりか、国力を消耗することを良くわかっていたというべきであろう。日清戦争において彼が率いた北洋艦隊は壊滅してしまう。北洋艦隊は李鴻章が故郷で募った義勇軍みたいなもので 、いわば私兵である。せっかく作り上げた近代的軍隊をこんなところで使いたくなかったのだろう。これによって清朝の洋務運動は挫折してしまうのである
 攘夷を旗印に革命を起こし、明治維新後は西洋化により富国強兵を目指すいった手品のようなことをやってのけた日本人からすると、李鴻章のような人物は非常によく理解できるのだ。
 ところが、中国では李鴻章は国賊なのである。
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2317.株式会社SUMICOのブログからの転載・・・蒼穹の昴1 返信  引用 
名前:株式会社SUMICO    日付:04月08日(月) 10時08分
 数年前のことにだが「蒼穹の昴」という日中合作ドラマがNHKで放送されていた。浅田次郎の同名の小説が原作である。物語の時代背景は清朝末期であるから日本は明治時代だ。田中裕子が西太后を演じたことで話題になったのを覚えていらっしゃる方もいるだろう。
 中国が舞台のドラマだから製作は主に中国で行われた。日本人作家による原作を中国で脚色したときに、原作とドラマの描き方に決定的な差異が現れるのだ。日中戦争に関して中国と日本の間には歴史的認識の違いがあるということが政治的に取りざたされることがある。それ以外でも歴史的認識というのは国によって微妙に違うのだということが原作とドラマの違いによって見えてくる。ドラマ「蒼穹の昴」が大きく原作と異なっているのは李鴻章が登場しないということだ。
つづく・・・
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2316.株式会社SUMICOのブログからの転載・・・文化侵略2 返信  引用 
名前:株式会社SUMICO    日付:04月07日(日) 00時47分
中国人留学生の友人がこんなことを言っていた。「もし、中国と日本が戦争になっても、僕は京都だけは攻撃したくない。」彼は日本の文化財を守りたいのではない。京都には彼の大好きな「涼宮ハルヒの憂鬱」を製作した京都アニメという会社があるからだ。文化侵略は防衛にも役立つのだ。
 国が違うだけで、歴史や文化や習慣、考え方までが違っていて、それらは乗り越えがたいものである。私たちにできることは相手を知り、また相手に知ってもらう努力をすることである。日本はアニメや漫画を中国に対して無料でばら撒けばいいのではないかと思う。前に書いたFREEの発想だ。中国の若者たちは喜んで受け入れるだろう。
 ついでに中国も日本に対して文化侵略をするべきだ。中国の面白い歴史ドラマや武侠ドラマをネットなどで無料で放送してくれれば、こんなありがたいことはない。
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2315.株式会社SUMICOのブログからの転載・・・文化侵略1 返信  引用 
名前:株式会社SUMICO    日付:04月06日(土) 12時42分
 ひと昔前、韓流ブームがあった。韓流ドラマやK‐POPなどが話題になり、日本人の韓国に対するイメージがずいぶん変わってしまった。このときに文化侵略ということが云われた。韓国が日本に文化侵略を仕掛けているのだという。
 思うのだが、文化侵略、大いに結構ではないか。日本のアニメなどは世界中で放送されているし、もはやオタク文化は国際語である。海外旅行をしていてもホテルのテレビには日本のアニメが映っているのだ。外国語で吹き替えられた「ドラえもん」や「アルプスの少女ハイジ」を目撃した人は少数ではないだろう。日本は文化侵略の先進国であり超大国なのだ。
 中国でもそれは例外ではない。中国人の若い人に聞くと日本のアニメや漫画が好きだという人が多い。中国人は政治的な理由では日本に対して複雑な思いを持っているが、文化に関しては好感をもっているのではないかと思う。
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2314.株式会社SUMICOのブログからの転載・・・三国争乱 返信  引用 
名前:株式会社SUMICO    日付:04月05日(金) 15時18分
Gyaoで中国の歴史ドラマ「三国争乱・春秋炎城」の無料放送をやっていて、毎日楽しみに見ている。
 三国と云うから「三国志」がらみの話かと思えば、そうではない。原題は「春秋淹城」という。春秋時代、呉・越・楚という三つの大国に挟まれた淹城という小国が舞台だ。史実にフィクションをからませた面白いドラマだ。
 しかし、このタイトルはなんとかならないだろうか?いかにも三国志と勘違いさせようという商魂が丸出しで、センスが悪すぎる。日本では中国史を題材にした小説や漫画などが たくさん出版されていて興味のある人はそれなりの知識を持っているはずだ。中国の歴史ドラマを見ようという人はそんなに多くは無いけれど確実に存在する顧客なのだ。このタイトルはそんな顧客の気持ちを無視して、マスに訴えかけようとしている。日本人の感性は成熟していると前に書いたが、こういうのを見ると情けなくなるのだ。
http://sumico1.blog.fc2.com/blog-date-201302.html

2313.株式会社SUMICOのブログからの転載・・・歴史ドラマブーム 返信  引用 
名前:株式会社SUMICO    日付:04月04日(木) 10時08分
 中国は歴史ドラマ・ブームなのだそうだ。先日ネットで見つけた記事である。記事は「中国の歴史ドラマは時代考証がいいかげんなので日本の大河ドラマに学ぶべきだ」と言う。もちろん書いているのは中国人だ。
 大河ドラマの視聴率と日本の景気には相関関係があるという話を聞いたことがある。高度経済成長の頃は総じて人気番組の視聴率は今よりも高かったし、バブルの頃に放送された「独眼龍正宗」や「武田信玄」の最高視聴率はいまだに不動のものだ。国が昇り調子の時には、テレビの中の英雄たちにだれもが心引かれるのかもしれない。
 中国の歴史ドラマ・ブームもまた中国バブルが生んだ現象なのかもしれないが、高度経済成長の下で育った私には懐かしい風景に思えてくるのだ。
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