「中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史」(與那覇 潤著 文芸春秋)はここ数年で読んだ本のなかでも最も面白い内容だった。このタイトルから日本が中国に占領されるとか日本が共産化するなどという印象を受ける方もいらっしゃるだろう。だが、これは歴史の本なのだ。 中国化とは何か?西洋の歴史は経済が自由化され発展する過程で、人権や個人の自由が認められるようになった。つまり経済の自由になることによって人間の自由が保障されるようになっていくのである。著者によると中国化とは経済のは徹底的に住だが、政治的・思想的には集権的であり不自由な状態をいうのである。現在の中国もそうである。経済的には自由、政治的には共産党の独裁である。この原因は中国の歴史を紐解けば判るという。中国の歴史は西欧のそれとは違う発展の仕方をしているというのだ。 日本語で「近世」という言葉がある。日本では主に江戸時代を指す言葉だ。近世は英語ではアーリーモダン、つまり初期近代のことをいう。西洋の近世はコロンブスの新大陸発見を区切りとする説があり、だいたい1492年くらいの時代で始まったと考えることができる。近代のヨーロッパ世界は新大陸からもたらされた銀によって経済的に潤っていった。新大陸からの銀が枯渇すると、今度は世界中を植民地化しそこからの搾取によって経済を発展させた。経済が活性化すると市民階級が台頭し王族や貴族の権利に制限を加えるようになった。やがて革命の時代を向かえ自由と平等がスローガンとなり、国家は王族のものでなく国民のものとなっていった。国民国家(ネーション・ステイツ)の誕生である。西欧では経済的自由と政治的自由がセットで発展してきたのだ。 中国の場合、経済的には西欧諸国より圧倒的に豊かであった。巨大な国土と人口は海外に植民地を求める必要がないほど充実しており、産業革命が起こるまでは技術的にも世界の最先端にあった。 中国史に大きな区切りを入れるとしたら、宋の時代になるというのが歴史学者たちの定説であるそうだ。中国の近世は11世紀くらいに始まり、この時代に出来た制度が中国の国家モデルになっているのだという。 宋の時代の中国で起こったことは貨幣経済の導入による自由主義的経済政策の導入と、貴族による門閥政治から皇帝による集権的な権力構造へのシフトである。自由主義経済は自由で平等な競争社会をもたらした。門閥政治替わって登場したのが、科挙という官吏登用試験に受かれば誰でもが宰相の地位に昇ることができる実力主義の世の中である。 11世紀の世界では実に先進的な自由・平等主義なのだが、ただ一人だけ例外があった。それが皇帝である。皇帝は何人たりとも逆らうことが許されない独裁者なのである。皇帝のもと全てが平等で誰にも競争の機会が与えられた。優れた人材ならば如何なる身分に生まれようと登用され宰相の地位に登ることも可能であった。 ------------------------------------------------------------------------- ※株式会社SUMICOは中国との国際交流を通じてビジネスを行う会社です。 このブログでは中国について感じたこと考えたことを書いていきます。
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