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週刊ボードゲーム通信

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週刊ボードゲーム通信907号「待ったすること」その2 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:2018/01/21(日) 20:04
みなさんこんばんは、鱶(fuka)です。今日までは寒さも一服という雰囲気でしたが、明日からは寒さと雪や雨になりそうです。気象状況には十分お気をつけください。

さて、前回の記事で待ったは長考よりましという記述がありましたが、私は「待ったをすること長考に似たり」とも感じたりします。まず長考はそれだけで長い時間が経ってしまいます。一方、待ったの場合はこちらが次の行動を考えている間に待ったをされることで、盤面の状況が一変してしまい、結果こちらの思考がやり直しという事になってしまいます。待ったが繰り返されると、そういった時間の無駄がかさむことになり、あまり良くないかなと思います。まあ1回のゲームで何度も何度も待ったをするようなプレイヤーはそれほどいないのかもしれませんが。

待ったをルールに盛り込むことも考えられないでしょうか。待ったの回数を3回までとする、というルールはとても単純で分かりやすくはあります。ただ、ゲーム性がそれほど変化しないので、もう少し考え方を進めてみると、こういうのはどうでしょう。待ったをするごとにゲーム内通貨で100ゴールドかかる、とか待ったをするごとに勝利ポイントが1減ってしまう。他にも持ち時間が減ったり、手持ちのカードを1枚捨てなければならない、などなど。

待ったにコストがかかる場合は、よっぽどの行動ミスでなければ待ったすべきでは無いと考えられます。むしろこの場合の待ったは、次のプレイヤーの行動決定後、次の次のプレイヤーの行動決定前のタイミングで使用する、とした方がコストに見合うものになりそうです。
待ったというよりも時間を巻き戻す技が使えるようなものなので、それを踏まえて自分の行動を決める必要があります。あえて次善の策で行動しておいて、相手に待ったをさせたところで、必殺の策を…、などと考えていくとどんどん長考になってしまいゲームのテンポを損ないそうです。(笑)
これが待ったのルール化があまりされない理由かもしれません。

それではまた来週-。

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週刊ボードゲーム通信906号「待ったすること」その1 返信  引用 
名前:    日付:2018/01/14(日) 18:34
待ったは、将棋の世界でよく使われる言葉です。他のボードゲームでも、「待った」と言いはしませんが、待ったをすることはよくあります。

待ったは、「ずる」の範疇ですが、ネガティブな印象は薄いです。昔のドラマで見たような平和な光景であり、微笑ましい感があります。待ったは、相手の承認により成立するためでしょう。相手が待ったを認めないときには、殺伐とするかもしれません。
このようなやり取りが積み重なり、待ったがルール化されていきます。待ったができるのは、相手が次の行動をする前までというのもそうです。待ったのルールは文章化されず、その集まり(アソシエーション)ごとに異なります。文化のようなものです。
待ったのルールの傾向としては、プレイヤーの習熟度によります。初プレイであったり、初心者であれば、待ったはあまり問題ありません。セッションの状況にもより、最下位のプレイヤーは待ったをしても大丈夫で、トップのプレイヤーは控えた方がよいでしょう。ゲームの種類にもより、パーティゲームであれば、勝負はそれほど重要でないため、待ったはあってもなくてもよいようなものです。

コンピュータゲームでは、待ったはたいていできないです。ビリヤードなどの物理的なゲームでもそうです。待ったは、ボードゲーム特有のものです。
ゲーマーは、待ったについてとくに問題意識をもっていないでしょう。待ったをよくする人がいても、それほど迷惑とは思われないです。ドイツゲームでは、待ったの許容度合いは高いです。シュミレーションゲームやトレーディングカードゲームの世界では、勝負感が強いこともあり、待ったはもっと問題視されるかもしれません。
最近ボードゲームを始めた人にとっては、ルールブックに記されていないことの可否は判然とせず、待ったをしてよいかどうかよく分からないでしょう。
ルールに則れば、待ったはたぶんダメです。なので、ゲーム外のマナーの部分となります。待ったをするのは、マナーとしては良くないですが、長考に比べれば随分ましです。

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週刊ボードゲーム通信905号「ずるすること」その12 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:2018/01/07(日) 23:01
みなさんこんばんは。2018年もボードゲーム通信をどうぞよろしくお願いいたします。

ずるの許容範囲は確かにありますね。私が考えたところでは待ったが許されるか否かはタイミングによります。
以下はよくあるボードゲームの流れです。
@自分が行動する
A相手がそれについて論評する
B相手が行動する

メンバーによってはAが無いこともあるでしょう。

こういった流れの場合に、私の考えで待ったをしていいのは、@の後とAの後までで、Bの後のタイミングで待ったをするのはルール違反という気がしているのですが、どうでしょう。

@のように自分が行動を決定した後であっても、次の人の行動の前であればゲーム進行上の影響は少ないです。
Aでは、その行動についての良し悪しをみんなで勝手に言っています。それ自体はオープンな議論で、その議論の中にBの行動予測が含まれていて、それが相手の行動予定だったとしても、待ったをかけることに問題はないと考えます。

しかし、Aの段階を経過してBで相手の行動が終わった後に、その行動を戻して自分の行動をやり直すことは許されないのではないでしょうか。
自分の行動は考え直しても構いませんが、相手の行動をキャンセルすることは常識的に出来ないと思います。同じ待ったでも似て非なるものと言えるでしょう。

このような考え方で待ったを許容するか、あるいは待ったを全て拒否するかはプレイヤーによって考え方が違うところでしょう。待ったなしが本来のルールなのかもしれませんが、あまりに杓子定規なことはボードゲームには似合いません。それが横さんが前回記している「ずるを許容する柔軟性」なのでしょう。

それではまた来週-。

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週刊ボードゲーム通信904号「ずるすること」その11 返信  引用 
名前:    日付:2017/12/31(日) 23:29
そういえば、初代のファミコンの簡素さは、ボードゲームに似ています。近年でも、昔のテレビゲームが一定層に好まれているのは、ボードゲームが注目されていることと通じていると分析できるかもしれません。

さて、ずるをしてまでゲームブックをする人は、あまりいないでしょう。ゲームブックは、とても好きな人がやるものなので、真面目にプレイするはずです。一人でプレイするため、仮にずるをしたとしても誰にも迷惑はかかりません。日々の忙しさの合間に、ずるをしてまでゲームブックをするとは偉い、と評価されそうです。ずるするのも関わり方の1つです。

1人プレイのコンピュータゲームでは、裏技でもコード改造でもどんなずるをしても自由です。研究熱心なゲームマニアだと思われるくらいです。しかし、対人プレイでずるすると、とがめられます。ずるが問題なるのは、相手がいる場合のようです。
ずるを相手が嫌がるのは、ルールが破られて、ゲーム世界が成立しなくなると感じられるためと思われます。

相手がずるを嫌がらない場合はどうでしょうか。些細なずるであれば、容認されることがあります。例えば、将棋で待ったをすることは、相手が認めれば大丈夫です。勝負が決するミスである手なら、待ったしたらよいでしょう。ドイツゲームでも、明白に不利な手を待ったするのは、許容されやすいと思います。しかし、真面目な相手は嫌と思うかもしれないので、慎重であったほうが無難です。将棋では、待ったは3回までとルール化されたりする方策があります。

ギャンブル漫画では、相手にばれなければイカサマ(ずる)OKというジャンルがあります。プレイヤーが皆それを認めていれば、ゲームの枠内におさまります。そこでは、相手のイカサマに気づいても指摘せず、気づかないふりをして利用するという戦術も生じます。

ずるを許容する柔軟性がボードゲームにはあります。ずるすることの可否は、環境によるという結論に落ち着きます。
それでは、来年もマイペースでやっていけたらと思います。よろしくお願いいたします。

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週刊ボードゲーム通信903号「ずるすること」その10 返信  引用 
名前:鱶(fuka)    日付:2017/12/24(日) 19:34
みなさんこんばんは、鱶(fuka)です。

ゲームブック時代は世知辛さが無くて良かったですね。私は社会思想社よりも東京創元社派でした。ソーサリーは今プレイしてもかなり面白いと思いますが、これは思い出補正がかかっているからかもしれません。ゲームブック末期のころは日本人作家の「ベルゼブルの竜」とか「紅蓮の棋士」とかをわりと楽しくプレイしていました。

初期のPCゲームはグラフィックも音楽もしょぼい物で、特にアドベンチャーゲームはゲームブックと質的に非常に似ていました。ディスプレイに表示される画面もゲームブックの挿絵と比較しても決して優位なものではありませんでした。
そのころはアドベンチャーゲームをプレイするにもゲームブックをプレイするにも、その世界を頭の中で想像することがつきものでした。自分の頭で想像した世界なので、楽しさも居心地も自分に最適で良いものだったのだと思います。

初代のファミコンは音も画面も簡素なものではありましたが、人をゲームの世界に引き込むには適度なものでした。ゲームブックをプレイしていても、音楽が頭に再生されるようなことはありませんが、ファミコンではプレイ中の場面でとても気分を盛り上げる曲が流れます。ドット絵は画面表現として十分ではないと思われるかもしれませんが、自分の脳内で自由にシーンを想像できる点で最強です。どんな美麗なグラフィックでも全ての人が納得することはありませんが、ドット絵をきっかけに想像する世界はそれぞれの人のベストグラフィックと言えましょう。
また、ゲームブックで絶対表現できないものとしてはアクション性があります。ゲームブックではアクション性を取り入れることができないため、ゲームのジャンルとしての幅が広くありません。ゲームブックはストーリーで様々な世界を表現できるとはいえ、それぞれがゲームの質として大きく変わるものではありません。この幅の狭さがゲームブックが衰退していった一番の要因だと思います。

さて、ボードゲームの世界はどうでしょうか。音がないという事はゲームブックと同様です。画面にあたるものはゲームボードやカードに描かれているイラストです。アクション性は取り入れることは可能ですが、テレビゲームには大きく劣ります。ボードゲームがゲームブックやテレビゲームに大きく勝っている要素は対人プレイでしょう。コンピュータゲームの対人プレイよりも面白さが勝っていると思います。この優位性がある限りボードゲームは無くならないと思いますがどうでしょう。

最後に、コンピュータゲームの対人プレイでは「ずる」は「チート」となり、ゲーム界から追放されてしまいます。コンピュータゲームは性悪説の世界ですね。それではまた来週-。

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