知人宅の軒で面白い蜂の巣を見つけたとの話があり、早速カメラを持って出かけたところ、何と、徳利が逆さにぶら下がり、注ぎ口からハチが盛んに出入りしてました。自然界にはすごい芸術家がいるもんだと感じ入った次第です。その偉大なる才能の持ち主はスズバチ、一般には徳利蜂(とっくり蜂)とよばれる、腰の良く括れた蜂だそうです。
下北山村上池原の「下北山温泉きなりの湯」を見下ろす国道169号線沿いにある山桜の開花状況です。数本ですが例年に比し10日以上も早く画像のような状況になって、通行のドライバーを驚かせています。撮影は3月11日と12日です。
2日、当地池原の道ばたで山桜が咲いているのに出会いました。直線距離で約五百メートルほど離れた場所で2本の木がちらほら咲き出しておりました。朝夕の冷え込みが厳しく寒い冬と感じていたのですが、例年に比し暖冬だったんですね。とはいうものの今日3日はみぞれまじりの雨が降り、山の高いところは白くなっています。
私が下北山の自然に関心を持つようになってから20数年ですが、今回で三度目の観察、頭から胸があざやかな黄緑色が美しい。コウモリの越冬洞くつを調査した帰りに車がパンク、修理に時間の関係で出会えた偶然です。同行していた者によると「アー アオー アオー」と鳴くとのこと。
京谷まで蛇の死骸を見つけましたがこれってツチノコでしょうか?
3月初旬に、元吉野町在住の方から、奈良県でも俳句の句碑は沢山ありますが、川柳の句碑は少なく貴重だと思います.昭和5年頃池原の発電所に在住の川柳作家横山勝二氏の系統の川柳会が下市に依然と続いています。きっと驚くでしょうし多くの川柳作家も同様かと思います。句碑が見つかれば又貴地の小さいながら歴史のひとつとなり、貴地からの発信される一つの材料に成るかと思いますとメールをいただきました。しかし、池原地区の古老にお聞きしても句碑の存在は調べることができませんでした。 その後、平成7年と8年の下北山村報に2回にわたり句碑等のことが記述(文 故植村俊平氏)されているのを発見しました。それによると、横山氏は昭和4年に宇治川電気(株)(関西電力の前身)摺子発電所の建設(昭和4年〜6年)に従事するために来村、川柳に造詣の深かった彼は、工事関係者に呼びかけて、池原に川柳同人会を誕生させました。名づけて「いわまつ会」北山吟社と称し、その事務局が普門寺に置かれ、地元以外の会員は工事関係者で県内では奈良・桜井・下市・・・など、県外では東京、富山、山口など広範囲にのぼっているなどが記述されています。 句碑は、昭和5年(1930年)9月 池原・普門寺境内に縦横1メートル余りの自然石に横山氏の句「寂滅為楽乃 鐘可 入日越 急がせる」が刻まれた句碑が建立されました。 工事の完成と共に同人会の中心人物、横山氏や会員の工事関係者が村を離れた後、地元のメンバーが細々と川柳に火を燃やしてきたものの、時の流れと共に衰えていったようです。その後、横山氏は昭和36年9月6日 76歳で死去。妻リサさんが勝治さんのお骨を持って、心のふるさとである池原の句碑の下に埋葬して欲しいと普門寺を訪ねてこられたが、境内に埋葬するわけに行かないと断ったが、檀家で相談の結果、昭和40年に句碑を本堂西側の寺の墓地に移転し、句碑の台座の下に納骨できるように移転し、納骨供養をしたそうです。又横山さんの妻リサさんも昭和60年10月に83歳で死去し、遺族の要望もあり同年12月、横山さんと同じ所へ納骨したとのことです。句碑は場所がら寺の参詣者の目にとまらないことと、無住寺となっているため村内でも知らない人が多いです。
句碑等のことが記された下北山村報
下北山村でユビナガコウモリなどの越冬する洞窟のあることが知られており、過去何回かバンデング調査が行われました。この結果、一部のコウモリが、この場所から70数キロ離れた白浜に移動し出産・子育てを行っていることがわかっていました。このように夏場は、多くのコウモリが移動してしまっており、洞窟内での生息数は少なくなっていましたが、6月22日 田の生物調査で洞窟に入ったところ、生息集団のいることに気がつき、7月5日教育大付属小の井上先生他5名の再調査でヒナコウモリの繁殖が確認されました。又、村内の別の場所でも妊娠中の個体が確認されました。奈良県で繁殖が確認されたのは初めてだそうです。
庭に植えられているアセビです。今が盛りです。
両方とも庭に植えられています。もう少しで開きそうです。
この花は約40年前、笠置から信楽へ走行中、道ばたで咲いていたのを当時住んでいた田原本の庭に移植、その後転宅に伴う移植2回を経て、今住んでいる庭に植えられて20数年になります。洋種に比べて小降りの花です。下北山に来てからは奥駆け道の太古の辻から南の稜線(多分、石楠花岳付近)で自生を見たことがあります。
北海道産のシャクナゲの仲間エゾムラサキツツジです。庭に植えて20数年、大きくはならないのですが、毎年花を咲かせてくれます。甘い?香りがあります。中国ではその乾燥した葉を「満山紅(まんざんこう)」と称し、慢性気管支炎、気管支喘息に用いるとか。花言葉は「片思いの恋」。
盛りを過ぎようとしていますが庭植の洋種マンサクです。3種類あります。
掲載が遅くなりましたが、2月18日の撮影です。盛りを少し過ぎた状態でした。
伊勢の朝熊山が最初の発見でこの名前が付いたと聞いています。奈良県では下北山と十津川村に自生しています。
ムベの実が色付いてきました。自宅の西側で日よけに植えているものです。ネットでムベを検索していて次のようなページを見つけました。http://www.page.sannet.ne.jp/mahekawa/mubenarukana.htmより抜粋 「むべなるかな(いかにももっともなことであるなあ)」 晩秋、ほのかに甘い赤紫の実のなるアケビ科の低木「ムベ」。この植物の語源が、天智天皇が発せられた一言だったということをご存じだろうか。 琵琶湖のほとりに位置する滋賀県近江八幡市の北津田町には古い伝説が残っている。蒲生野に狩りに出かけた天智天皇がこの地で、8人の男子を持つ健康な老夫婦に出会った。 「汝ら如何(いか)に斯(か)く長寿ぞ」と尋ねたところ、夫婦はこの地で取れる珍しい果物が無病長寿の霊果であり、毎年秋にこれを食するためと答えた。賞味した天皇は「むべなるかな」と得心して、「斯くの如き霊果は例年貢進せよ」と命じた。